27章は、イスラエルの民が、いよいよヨルダン川を渡って約束の地を入っていこうとする緊迫感のようなものを感じる。
このとき、のろいの宣言がなされる(12~26)。その内容は、家族について、社会的弱者について、性的倫理について、殺人についてである。
ここに記されていることは、すべて現代においても同じである。その中でも、特に心に止まるのは、社会的弱者に対する配慮である。
「隣人との地境を移す」(17)の意味は、強い者が弱い者の土地を勝手に奪ってはならないという意味である。
「目の見えない人」目が見えないことは罪に対する刑罰であり、その人は神からのろわれた者であるという考えとは正反対である。神は目の見えない人を大切にしておられる。
「寄留者」これもまた、ユダヤ人が神から選ばれた民族であり、その他は異邦人とされ、神からのろわれているとみなされていた事とは正反対である。神は寄留者(異邦人)を顧みておられる。
「孤児、やもめ」社会的に生活が出来ない貧しさの中におかれ、多くは物乞いや娼婦となっていた。
神は、「さばきを曲げる者はのろわれる。」と言われている。それは、これらの人々に対する間違ったさばき、それは差別、排除、虐げることを禁ずるものだ。そして正しいさばき、つまり正義と公正を行い、弱者を保護し、助け、尊重することだ。
イエスさまが来られたとき、ユダヤの社会は、まさに曲がったさばきが行われていた。律法とは、人を正しい道に導き、助けるためにある。律法の正しさとは、愛することなのだ。愛さないことが罪であり、のろい(神との関係の断絶)をもたらす。
私たちは、曲がったさばきではなく、正しいさばきに心をとめていきたい。
天の父なる神さま
どうか私たちが、曲がったさばきではなく、正しいさばきを行う者としてください。特に社会的弱者と呼ばれる人たちに、イエスの心をもって接することができますように。神の国が拡がり、その価値観がこの世に拡がりますように。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
文:関真士
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