「以上は、全焼のささげ物、穀物のささげ物、罪のきよめのささげ物、代償のささげ物、任職のためのささげ物と交わりのいけにえについてのおしえである。」37節
「これは、主がシナイの荒野でイスラエルの子らに、主にささげ物を献げるように命じた日に、主がシナイ山でモーセに命じられたものである。」38節
7章は、ささげ物に関する規定のまとめが記されている。すべての主へのささげ物は、主にあって、計画されたものであり、そのすべての規定は、人間が勝手に考えだしたものではないことが明記されている。つまり、ささげ物は、すべて主の御計画の中にあり、御子イエス・キリストによる完全な贖いを象徴するものであると解釈されている。
レビ記1章から語られた五つのささげ物の規定は、すべてが主がご計画されたものであり、又、それを、イスラエルの民は荒野で苦難の状況でありながらも神に従っていったことがすごいと思わされた。私たちクリスチャンにも示されることではないだろうか。
神へのささげ物は、私たちの最高なものを献げることによって私たちへの恵みが人知では考えられないことが与えられるのではないでしょうか。
祈り:天の父なる神さま。今日のみことばを心から感謝します。神へのささげものは最高なものを捧げることができますように示してください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
Comentarios