「全焼のいけにえ」
主なる神の民の守るべきいけにえの捧げ方や儀式の色々な規定が記されています。それが正しく行われるように指導する責任が祭司レビ人にあったということで、「レビ記」と命名されているそうです。
この第1章では、全焼の捧げものに関して語られています。文字通り、捧げ物のすべてを祭壇の上で焼いて主にお捧げします。いつも共におられ、共に歩んでくださる主の御前に、すべてのものを主に捧げてお従いするのだということが、焼き尽くす捧げ物を通して、私たちに教えられているわけです。傷のない雄の家畜を捧げるために、奉納者は、その捧げ物を臨在の幕屋の入口に引いていきます。そこに、いけにえを神に捧げるための祭壇が置かれていました。
そして、「その全焼のささげ物の頭に手を置く。それがその人のための宥めとなり、彼は受け入れられる。」と記されています(4節)。捧げた牛が、その人の罪を担って死ぬということで、その行為は、まさに自分自身を犠牲にするのに等しいものだということを表しています。
また、捧げ物の血が祭壇の四隅に流されて祭壇が清められ、そうして、捧げ物が主に受けいれられます。主はこの捧げものを受けて、私たちのあらゆる背きの罪を赦し、義として下さいます。
ここに神の愛があり、まことの愛のあるところに義が表されます。
主は、私たちの背きの罪を赦し、私たちを神の子として受け入れるために、ご自分のひとり子を贖いの供え物とされました。 かけがえのない御子イエスの血が、十字架という祭壇で流されました。 この贖いの血によって汚れが取り除かれ、私たちは神に受け入れられるものとなりました。 これが、神によって与えられた新しい約束、新約の恵みです。
主への祈り:神様は、私たちを神の民とするために、ご自身のひとり子を贖いの供え物として十字架につけられました。 その深い愛をありがとうございます。
主に愛され、生かされた者として、主を愛し、主に従い、日々、恵みの光のうちを歩ませてください。 アーメン
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