『心が頑なとなったファラオ』
エジプトに下されるの災いも、奴隷からの解放も全て、私たちの主の御手によって導かれるわけですが、特に10の災いはエジプト人が信じる神々に対する打撃でした。1️⃣ナイル川を治める神に対して水が血に、2️⃣カエルは生産の神に対して、3️⃣ぶよは大地の神、4️⃣あぶはハエの代表神、5️⃣疫病は牛の頭の多産の神に対し、6️⃣腫物は癒しの神に対し、7️⃣ひょうは嵐の神に対し、8️⃣イナゴは大気の神、9️⃣暗闇は太陽神に対して、そしてこの決定的な🔟初子の死は、出産や子どもを守るエジプト人の信じる神々に対して、創造主である唯一の神が圧倒的な力を示さる災いが下されたのです。特に4️⃣~🔟の災いはエジプト人だけに下された災いとなって、奴隷であったイスラエルの民、創造主に選ばれた民が、自分達の力ではなく、神によって救い出されました。
イスラエル考古学によると紀元前12~13世紀(紀元前1300年)頃に、この出エジプトの出来事が起こったわけですが、その時のエジプトの王ファラオは、古代エジプト第19王朝のラムセス2世の時ではないかという説がありますし、もっと後の紀元前1450年とする説もあって定かではありません。
昔見た映画「十戒」では、このファラオは、小さい頃、モーセと一緒に王宮で育って、勉強や競技で常に争っていた、いわば異母兄弟を思わせる競争相手であってモーセにかなわなかったのでヤキモチを持っていたので、このファラオは、特にモーセに対してどうしても素直に言うことを聞けないと言う筋書きでした。なぜファラオが家臣の言うことも聞かずにモーセに心を頑なにしたのか、映画は人間的な筋書きでしたが、聖書はそのようには描かれていません。
9節「主はモーセに言われた。ファラオはあなたがたの言うことを聞き入れない。 わたしの奇跡がエジプトの地で大いなるものとなるためである。」
この災いは、主の民であるイスラエルの民を解放し、唯一の神を拝み、みことばを与えるための災いで、エジプトの国に限られた災いですが、やがて再臨される御子イエスの主の日、患難時代は、このエジプトの災いに良く似た裁きで全世界に対して下される災いとなるのです。これは主を信じる者たちを救われようとされる、同じく主の御手によって行われる、救いの御手であり、裁きの御手ともなる事が聖書には示されているのです。
私たちの信じる神は、エジプトとイスラエルをここでは区別されたと書かれておりますが、やがて父なる神が送られた御子イエスを信じる者と逆らう者とを区別されるのです。そうしてエジプトのファラオが心が頑なだったように、主イエスを拒絶しているユダヤ人、イスラエルの民が、心から主イエスを救い主と信じ、呼び求める時に主はもう一度、この地に、エルサレムに戻ってこられるのです。
ユダヤ人が「あなたがた信者の言うことを聞き入れない。それはわたしの奇跡がこの地で大いなるものとなるためである」と言う事を予表しているように思える11章でした。
祈り
どうか、この世の裁きの日、主の日の前に一人でも主イエスを知らない者が信じる者となって救いに預かりますように、私どもを遣わされてみことばを広めることができますように、未だ主を知らない者が心を開いて聞く耳を持ちますように、導きください。 アーメン
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