この8章には、モーセを通して神がエジプトに下した10の災いのうちの3つが記されています。蛙、ブヨ、アブの大量発生です。その度ごとにファラオは、モーセの要望を一度は許可するのですが、15節「ところが、ファラオは一息つけると思うと、心を硬くし、彼の言うことを聞き入れなかった。」、19節「しかし、ファラオの心は頑なになり、彼の言うことを聞き入れなかった。」、32節「しかし、ファラオはまたも心を硬くし、民を去らせなかった。」と3度同じ事が記されています。
「硬い心」では、神の御声に聴き従うことができません。硬い心は、神の御声をはねのけ、神の示した道に歩むことを拒みます。
その硬い心を砕くために、神は私たちに試練を与えることがあります。人生に起こる出来事(全てではありませんが)は、私たちの硬い心を砕くためにある場合があります。
ダビデの告白が心に浮かびます。
詩篇51篇「神へのいけにえは、砕かれた霊。打たれ、砕かれた心。神よ あなたはそれを蔑まれません。」
ダビデもまた、心が硬くなっていたのでしょう。高慢というプライドの城壁がだんだんと高く築かれていたのでしょう。ファラオも同じです。そして私たちも同じです。
神は、私たちの硬い心を砕こうとされます。私たちが柔らかな心を持って、主の御声に聴き従うためです。
砕かれるということは、決して心地よいものではありません。厳しく、辛く感じます。しかし、人生の様々な出来事を通して、結果として自分の心が砕かれるなら、それは幸いなことです。
イエスの言われた通りです。
マタイ5章3節「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。」
自分の心は硬いと思わされるとき、私たちは祈りに導かれます。
天の父なる神さま
私たちの心は、なんて硬いのでしょうか。どうか、あなたの恵みによって、私たちの心を柔らかくしてください。あなたの御声に素直に聴き従うことのできる柔らかい心をください。あなたの愛の呼びかけに耳を開ける柔らかな心を与えてください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
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