『聖霊の満たし』 アイゾン直子
幕屋建設に関する規定が告げられ、次に主はその担当者を選ばれます。その人はユダ部族に属するフルの子ウリの子ベツァルエルという人です。彼は、アマレク人との戦いの時にモーセの腕を支えたフルの孫です。主は彼を名指しで召し、神の霊(聖霊)で満たしました。彼は、幕屋、聖所、至聖所、そして祭司の装束に至るまでのすべてに神のデザインを施す者として選ばれました。そしてその働きに必要な助け手として、主はダン部族のオホリアブを召しました。彼らは心に知恵ある者、つまり、その道の熟練者たちでした。そしてその知恵の上にさらに神の知恵が与えられました。
ベツァルエルとオホリアブに対する主の対応は、奉仕に対して不安を持つ者にとって大きな励ましを与えます。人間の能力では、たとえ熟練と呼ばれる職人であっても、神の命じられた通りに従うことは無理なのです。しかし主は、みこころが成るよう準備し、必要を満たすと言われます。主はみこころを行う者を聖霊で満たし、神の知恵を与えると言われます。自身の努力で従うのではなく、聖霊に満たされて従うことの大切さを学びます。
さて幕屋建設の担当者も決まり、再びここで安息日の規定について語られます。6日間働いたら7日目は休むことを定めた法律ですが、これは創世記に基づいて定められました。しかしイスラエルの民にとって安息日は別の意味を含む特別な日となりました。彼らには400年間エジプトで奴隷として働き続けた歴史がありました。彼らに休日はなかったのです。その彼らに主は安息日を与えました。そのことは、彼らがもはや奴隷ではなく、自由の民となったことを証明しました。天地創造のみわざに基づいた規定ですが、民にとってその日は主の大いなるみわざによる恵みの日でした。彼らにとって永遠に聖なる日となりました。ただし、この規定はユダヤ人に与えられたものであり、異邦人には関係のないものです。しかし、体を休ませることは健康上大切なことです。神ご自身が7日目に休まれたように、私たちも休むこと、主と交わる日を保つことはとても大切なことです。
この安息日の掟を含んだ十戒は、石の板に書かれました。文字による律法の誕生です。これ以降、イスラエルの民は律法に基づいて暮らし、そしてさばかれていきます。律法に反した者へのさばきは非常に辛辣なものですが、十戒が教えようとしていたことは愛でした。神を愛しているなら、他の神を礼拝したり、偶像を作ったりしません。主の御名をみだりに口にもしません。両親を愛しているなら彼らを敬います。隣人を愛するなら彼らを殺したり、姦淫したり、彼らの物を盗んだりしません。偽りの証言もしないし、彼らが所有するものを欲しがったりもしません。
「イエスは言われた。『あなたは心を尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』これが。重要な第一の戒めです。『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という第二の戒めも、それと同じように重要です。」(マタイ22:37‐39)
恵みの時代に生きる私たちには、主イエスによる律法が与えられています。その中で重要とされる二つの戒めは、十戒を総括しています。モーセの律法を完全に守れた人など、主イエスを除いては、一人もいなかったように、この二つの戒めを完璧に守れる人もいません。しかし、それに従う者になりたいと切に求めるなら、内に宿る聖霊は豊かに働いてその心に満ち、私たちの努力では出来ないことが出来るようになります。
祈り:愛する天のお父さま。聖霊の大切さについて学んだ章でした。私の考えや努力をはるかに超えた聖霊の力に身をゆだねます。私の中から負のエネルギーをもたらす感情を取り去り、主への愛の泉が湧く者としてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
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