「罪なき子羊イエス」
29章は、祭司の務めに対する細かい内容である、レシピといってもよいかもしれない。
現在わたしたちクリスチャン一人一人の内に、聖霊様が宿りイエス様がいつも共にいて下さる「恵みの時代」である。
しかし、この出エジプトが記された頃、つまりイエス様がまだいない頃は、罪を赦しきよめて下さる仲裁者がおらず、祭司が宥めのいけにえを祭壇に捧げなければいけなかった。29章ではこと細かに祭司がどうやっていけにえを捧げるかが書かれている。なぜここまで細かい指示がでているのでしょう。
料理のレシピに細かいことが書かれている場合、それなりの理由がある。例えば、「10分はふたをしておくこと」。7分でふたを開けてはいけないのです。レシピ通りにしないと目指した料理ができないからです。
なぜ全焼のいけにえを捧げるのにそこまで細かい指示がでているのでしょう。
「実に、私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。(エペソ2:10抜粋)」とあるように私たち 一人一人が神の最高傑作品です。それぞれ違うように造って下さった。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(ヨハネ3:16)」
神様はわたしたち一人一人を愛しているからこそ、弱い人間であるわたしたちの罪を赦して下さる、いや赦したい。それには聖い罪なきいけにえが必要であった、それこそが子羊イエス・キリストであった。イエス様を通して、わたしたちの罪の赦しが可能になり、聖いものとなれる。
牧師先生が、「聖書は人間の取り扱い説明書」であると言ったことが思い出される。
祈り:天の父なる神様、
いけにえとしてご自分を捧げて下さったあなたの御子イエス・キリストに感謝します。
自分の子を犠牲にするほどまでに私たちを愛してくださる。その痛みと愛はいかばかりでしょう。私たちの罪のためイエス様が十字架にかかり、自らを神様への宥めものとして捧げ、今も執り成して下さっていることに感謝します。
まだ「罪」についてご存知ない方、イエス様をまだ知らない方々のために日々祈ります。あなたが私にして下さったように、それぞれの一番良い時期にお一人お一人を救ってくださることを信じています。イエス様の尊い御名により祈ります。アーメン
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