「会見の天幕の中で、さとしの板の前にある垂れ幕の外側で、アロンとその子らは、夕方から朝まで主の前にそのともしびを整える。これはイスラエルの子らが代々守るべき永遠の掟である。」-21節-
27章は、祭壇の作り方について語られている。26章で幕屋を設営するときに語られたこと、「山で示された定めのとおりに幕屋を設営しなければならない。」30節(抜粋)が、27章8節でも語られている。「祭壇は、板で、中が空洞になるように作る。山であなたに示されたとおりに作らなければならない。」とても大切なことであったのです。幕屋に行くには祭壇を通ってしか入れなかったのである。
このことは、クリスチャン生活のひな型だと言われているそうです。つまり、最初に祭壇で罪を処分しなければ幕屋に入れないということである。私たちもイエスさまを通して罪を聖めていただけなければ、父なる神の前に行くことができないということなのです。
21節の御言葉に触れられた。特に、ともしびを夕方から朝まで絶えずともしておくこと、そして、イスラエルの子らが代々守るべき永遠の掟であるというところだ。どういうことかというと、これは、主の臨在を象徴的に示すためであったと言われている。主はどんな時でも、イスラエルの民の中におられるということである。主ご自身が選ばれた民をこれほどまでにも愛してくださっていることを忘れてはいけないということである。
私たちクリスチャンもイエスさまによって、十字架の血潮で罪が赦されて、幕屋に入ることができたのである。聖なる主と一つにさせてもらったのである。
愛する天の父よ、イエスさまの十字架の血潮によって罪が赦されあなたと一つにさせてもらうという契約を与えてくださって感謝します。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
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