この19章は、神がシナイ山に降りて来られてモーセと会う様子が記されています。神は、モーセに十戒をはじめとして掟を授けます。それが31章まで続きます。
この出来事は、いわゆる「シナイ契約」と呼ばれていて、19章から31章の内容は、その契約内容ということになります。31章では、神の指で書き記された石の板2枚が授けられました。このシナイ契約は、イスラエルの歴史の中でも特別に大切な出来事です。
12節「山に登り、その境界に触れないように注意せよ。」
21節「下って行って、民に警告せよ。彼らが見ようとして主の方に押し破って来て、多くの者が滅びることのないように。」
24節「主のところに上ろうとして押し破ってはならない。」
この「境界線」「押し破ってはならない」という言葉が心に止まりました。今も、神と人との間には境界線があります。超えてはならない一線というものがあります。それは「愛は、礼儀に反することをせず」(1コリント13章5節)とあるように、愛するからこそ、境界線を守るということです。それが「礼儀」なのだと思います。日本でも「親しき仲にも礼儀あり」と言いますね。
神の愛に生かされているからこそ、神を畏れ、神の御前に自分の分というものをわきまえていきたと思います。
境界線を超えるとき、必ず、そこにトラブルが起こってきます。自分自身を振り返るときに、神の働きをしながらも、同時に神の働きを妨げている時があります。主から「そこは、あなたがすることじゃないよ、わたしがすることだよ」と言われることがあります。
境界線を押し破ることなく、自分の成すべきことをしていきたいと願います。
天の父なる神さま
私は、しばしば境界線を押し破って、あなたの働きを邪魔してしまうことがあります。どうか、私が、自分の分に留まり、そこで成すべきことに集中できますように。あなたの働きを妨げることがありませんように、守り、導いてください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
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