12章で、主はついにイスラエルの民をエジプトの地から導き出されたことが述べられていた。そして13章は、主がイスラエルの民をエジプトから連れ出されたことの意義が書かれている。私たちもクリスチャンになる以前は出エジプトだったことを忘れてはならないこと、私たちへの意義でもある大切なところである。
「最初に胎を開くものはみな、主のものとして献げなければならない。」(13:12)
この聖句を読んで、幼い頃に親たちが初子が生まれた時にする大きなお祝いでの供え物、料理のことが脳裏に浮かんできた。四つ足の動物の料理だった。供えるところは、仏壇でそこにみんなが座して手をあわせて拝んだことがあった。偶像礼拝ではあるけれど、感謝して献げるというところは聖書からきたのではないだろうかと思わされた。
種なしパン(イースト菌の入っていないもの)を食べることや、最初の初子は人間に限らず動物でも主に献げることなどについて、後になって息子にどういうことかと聞かれたら、(14節抜粋)「主が力強い御手によって、私たちを奴隷の家、エジプトから導き出された。」と言いなさいと述べられた。つまり、主のなされた出エジプトでの出来事を忘れてはいけないことの大切な儀式であるということです。
モーセは、ヨセフが堅く誓わせていた自分の遺骸を忘れずに携えてカナンの地へと向かう、そして、主は、途上の民を導くために昼は暑さから守られる雲の柱を、夜は寒さを凌ぐ火の柱の中にいてくださって彼らの前を進まれたのである。主が民とともにおられ、見守っていてくださったのである。何と心強いことでしょうか。
天の父なる神さま。あなたの御名をほめたたえます。出エジプトの出来事は、私たちクリスチャンが忘れてはいけないことです。イエスさまの贖いによって救われたことを覚えて、感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
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