天地創造から始まった創世記も終わりの章となった。アブラハム、イサク、ヤコブの生涯を通してどれをみても大変奥深く感慨深いものであった。この三方は、常に主の語りかけ、又は、み使いによる知らせがあったりしたけど、ヨセフの場合は決してそういうことはなかった。神の命令に従って行動を起こすということがなかった。では、どうして危機に面しても常に守られてこられたのだろうか。それは、ヨセフが神を信じる強い信仰の持ち主であったのである。それゆえに、神は常にヨセフとともにおられたのである。
創世記50章は、ヤコブの死の悲しみ、亡き骸を四十日かけてミイラにされ、エジプトは彼のために七十日間、泣き悲しんだ。それから、ヨセフと兄弟たち、エジプトの多くの長老たちや有力者、兵士たちによって遺体をカナンの地に運んだ。カナンの地に入る前に、ヨルダンの川向こう、ゴレン・ハ・アタデについて立派な葬儀を営んだ。その後、遺体をマクペラの畑地の洞穴に葬った。ヤコブが彼らに誓わせたとおりに事がおこなわれた。ヤコブはエジプトでは有名人でもないのにこれほど立派な葬儀をすることができたのは、やはりヨセフがエジプトで人のために惜しみなく働いてきた業績だったのである。
エジプトに戻った兄弟たちは、自分たちがヨセフに犯したすべての悪に対して仕返しをするのではと恐れた。でも、ヨセフは兄弟たちに言った。「恐れることはありません。どうして、私が神の代わりになることができるでしょう。」19節「あなたがたは私に悪を謀りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとしてくださいました。それは今日のように、多くの人が生かされるためだったのです。」20節そして、彼らの子どもたちも養うと宣言したのである。ヨセフの謙遜さがでています。
関牧師が言われたように、ヨセフは本当にイエスさまの型ですね。ヨセフは、兄弟たちから憎まれ、銀貨二十枚で奴隷に売られ、無罪で誘惑に勝ち、無罪で監獄に入れられ、獄中で長官に信用され、二人の囚人に対して、一人に救いの恵みの予言を、他の一人に審判を受けることを予言したのである。そして、ヨセフが監獄から出されて、エジプトの支配者の位にまで挙げられ、かれの家族だけでなく、エジプト全国、近隣諸国をききんから救う者となったのも、キリストの型である。
イエスさまも、弟子のイスカリオテのユダによって銀貨三十枚で売り渡されたのである。主イエスもこの世に下ってこられて、しもべとなり、サタンにこころみられて勝ち、無罪で捕らえられ、十字架と墓という監獄にいれられたが、三日目から復活し、天に昇り、神の右に座し、救い主としてたてられました。そして、刑を執行した百人隊長が感動したこと、また十字架の上で犯罪人に会い、一人は恵みを受け、他の一人は審判を受けたのである。
ヨセフを通して、驚くべきキリストの型を見せられたが、ヨセフは、神の摂理のなかで生きた人だったんだということが示された。
愛する天の父なる神さま。ヨセフの行いからイエスさまの型を示してくださってありがとうございます。すべてのことは、あなたのご計画によってなされることをこれからも信じて、進んでいくことができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
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