『祝福の源』 アイゾン直子
ヨセフの計画通り、エジプトに到着した彼の家族たちはゴシェンに住むことになりました。ゴシェンはエジプトの街中から離れた所にある牧草地です。羊飼いにとって最も適した土地がヨセフによって与えられることになりました。街中から離れた所が選ばれた理由は、偶像礼拝が盛んだったエジプト文化からイスラエルの民を守るためでした。ここに主の御手を感じます。舞台ではヨセフが主役として登場していますが、働いておられるのは舞台裏におられる神ご自身です。私たちもそのことを知っているなら、目の前にある出来事に一喜一憂する必要がないことがわかります。すべては御手の中にあるのです。
次にファラオが夢で見たとおり、エジプト全土に飢饉がおとずれます。銀で食料を買っていたエジプトの民は、それがなくなると次に家畜を差し出します。しかしその家畜さえ尽きた時、彼らは土地と自らのからだを差し出します。そしてファラオのものとなった土地で奴隷として働くから、その畑地に蒔く種をくださいと申し出ます。銀や家畜もなくなり、更に自分たちの土地やからださえ、食料のために差し出していく民の姿は哀れです。果たしてヨセフの飢饉対策はエジプト王の財を増やすためだけの計画だったのでしょうか。
ここで王が見た夢を思い出す必要があります。それによれば、飢饉前の7年間は大豊作がエジプト全土に訪れることが分かっていました。そしてその収穫の5分の1を7年間の飢饉のために蓄えるようにとの命令が出されていました。この時の大豊作がどれだけのものであったのか想像もつきませんが、エジプトの民たちは確実に豊かになっていたはずです。つまり彼らは、なけなしの財産を食料に変えたというより、大豊作によって得た富を飢饉のために使い果たしたと言えるのかもしれません。ここにも、飢饉に備えてくださった神の御手を感じることが出来ます。
いずれにせよ、7年間の飢饉に対してヨセフには飢えに苦しむ民を助けることと、同時にファラオの財産を増やすという役目がありました。そして彼が考えた計画は、その両方を満たすものとなりました(14‐26)。主がともに働かれるなら、すべてが満たされます。私たちの働きもまた、主と共に働くなら良いものになるのだということなのだと思います。
ヨセフという人はアブラハム、イサク、ヤコブに続く家系でありながら、約束の子を生み出す主流には選ばれませんでした。しかし主は彼の信仰を喜ばれ、彼の行くところ、住むところにおいて豊かな祝福を注がれました。彼を祝福したエジプト王やエジプトの民もまたヨセフの信仰により祝福を受けましたが、顕著なのはイスラエルの民の人口です。アブラハムや息子イサクから生まれた者の総数についての詳細は分かりませんが、エジプト到着時にヤコブから生まれた者の総数は70人でした(創世記46:27)。しかしそれから400年後の出エジプト時にヤコブから生まれた者の総数は60万3,550人とありますから(民数記1:45)女や子どもを合わせればその人口は総勢200万人はいただろうと言われています。
ヨセフの信仰によって周りの人たちが祝福されていったことを知る時、自分もまた周りの人たちの祝福の源になりたいなと思いました。特にイエス・キリストを知らない人たちのために、そのようになりたいなと思いました。ヨセフのように主に喜んでいただける信仰生活を送る者とされますよう、祈りたいと思います。
祈り:愛する天のお父さま。ヨセフの信仰について黙想しながら、彼のように何をするにもしても、まずそこにおられる主を認めることの大切さを学びました。自分の欲望に負けてあなたの存在が見えなくなること、お赦しください。あなたの御顔を仰ぎながら歩んで行く者とされますよう、お導きください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
Comments