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2023年7月25日 ヤコブの手紙2章

『慈悲の心』

 

 東京の知人でキリスト教に惹かれているが、未だ信じることが出来ない友人がいる。クリスチャンであった奥さんに先立たれ、今は一人暮らし、音楽好きで年金暮らしの友人が、何を思い立ったのか、小さい子ども3人を抱えている寡婦を何とか助けてあげたいと活動を始めたけれど、NPO法人となるには大変な手続きが必要だったので、諦めて少しずつ自分の年金や友人たちの寄付で、2年ほど福祉を受けているこの家族を助けてあげていた。

 やっと何とか寡婦が独り立ちができそうだった矢先に、福祉課の調査が入り、毎月の彼からの寄付が入金されてあったことが判明したので、結果として福祉課が、今度は今まで附給していた全金額の返却を求めてきた。日本の福祉の規制内容を知らなかった友人は、頭をかきながらこの家族に謝っているところだ。

 友人の純粋な心を非難する事はとてもできない。しかし、奉仕がイコール伝道とは限らないのです。いったい愛なる神が私達に求めている事は何なのか、深く考えさせられた事件です。果たして、この友人が信仰を持って助けの手を伸ばしていたら、結果が異なったのでしょうか? それともこれも、彼を主に近づかせるための、これが彼への、もしくは寡婦への試練なのでしょうか? なぜ彼が思う通りに行かなかったのかと考えさせられました。


18節「しかし、「ある人には信仰があるが、ほかの人には行いがあります」と言う人がいるでしょう。行いのないあなたの信仰を私に見せてください。私は行いによって、自分の信仰をあなたに見せてあげます。」


 使徒ヤコブは実践的です、それに比べて使徒パウロは信仰的と言っても良いでしょう、さらに使徒ヨハネは霊的です。ヤコブはユダヤ人向けに福音を語り、パウロは異邦人向け、そしてヨハネはユダヤ人、異邦人の差別なく、人類全体のために語っています。ヤコブは律法を聖め、パウロは律法を断ち、ヨハネは自由の律法を唱えたと言えるでしょう。

 私達は、ヤコブのように自信を持って、私は行いによって、自分の信仰をあなたに見せてあげますと、言えるクリスチャン、主のみことば、戒めに従っていると断言できるでしょうか?


26節「からだが霊を欠いては死んでいるのと同じように、信仰も行いを欠いては死んでいるのです。」実に耳の痛い言葉ですね。

 

 主が私達に求めるのは、実は自分自身の力では到底出来ない、主の召し、なのではないでしょうか。 自分自身で出来る事であれば、自分の力に頼って、自分の判断で行います。主が求めているのは、主と一緒に、聖霊の力を借りながら進む事を望まれておられるのではないかと思わされております。

 旧約聖書の基盤、モーセの律法は根っこにあたる部分です、そこに使徒ヤコブは枝と幹をつけ、さらに使徒パウロは葉と花を咲かせました。そして使徒ヨハネは、この木の熟した実を私達にもたらしたのです。


祈り

 実践的なヤコブの手紙に感謝いたします。行いのない信仰とならないように、主の召しをはっきりと理解できますように、私の友人がガッカリと肩を落としておりますが、この彼の経験が主イエスを信じる一歩となりますように、聖霊の助けを求めますように アーメン


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