『主が励ましてくださる』 アイゾン直子
前回のへブル人への手紙に続き、ヤコブの手紙もまたユダヤ人信者に宛てられた手紙です。著者であるヤコブは主イエスの弟です。彼はたぶんキリストの復活以降に信者になったのだろうと言われています。そのため、彼の名は十二使徒ではなく、パウロやバルナバと同じく主の復活を目撃した第二使徒の中に含まれます。
この頃のユダヤ人信者たちはアジア州はじめ、ギリシアやエジプト、イタリヤに離散となっていたそうです(Adam Clarke参照)。キリスト者迫害の危機はあちらこちらに迫っていました。そのような迫害の不安を抱え、もとのユダヤ教徒に戻ろうとするユダヤ人信者たちに向けてヤコブは励ましの手紙を送ります。
ヤコブはパウロと違って単刀直入に内容を伝えます。「私の兄弟たち、様々な試練にあうときはいつでも、この上もない喜びと思いなさい。」(2)
これは試練自体を喜びなさいという意味ではなく、試練が来たならそれを喜びの土台としなさい、試練の中にある喜びを見出しなさいと言う意味だそうです(60分でわかる新約聖書参照)。クリスチャンになると恵みや祝福にあふれた生活に変えられて行くというメッセージがよく語られますが、それらは試練を土台とした上にある恵みや祝福であるのかもしれません。
試練によって私たちの信仰も成長していきますが、それには忍耐が必要となって来ます。試練が来たなら忍耐を働かせなさい、そうすれば成熟した、完全な者となりますとヤコブは教えます。私たちは鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきますとパウロも教えていました(2コリント3:18抜粋)。試練はそのための土台だと考えるなら、ヤコブのいうように試練の中にある喜びを見出すことができるのではないでしょうか。
ヤコブが兄弟たちに送った試練に対する励ましのことばは、主イエスの山上での教えが多く反映されています。山上の垂訓は主イエスによるモーセの律法の正しい解釈だと言います(30日で分かるマタイ福音書参照)。主イエスが活動されていた時代の民は、モーセの律法に違反しないための更なる律法が作られていて、それを守ることを強いられていました。主イエスの山上の教えによって多くのユダヤ人信者たちは間違った教えから解放されただろうと思います。また迫害を恐れる民にとって、山上の教えをもとにした手紙は、それも主イエスの弟であるヤコブからの手紙は、どんなに彼らの励ましになったことかと思います。
私たちは毎週日曜に礼拝に集います。それぞれにいろいろな理由で礼拝に集いますが、励ましたり、また励まされるために集うことも大切だなと思いました。一人では見つけ出せなかった答えも教会に来ると見出だせることがあります。自分だけが苦しいと思って悩んでいたら実は他にも同じ悩みを持つ人がいたことで勇気づけられることがあります。何となくだるくて何をする気にもなれないけど教会に来たら元気になったということがあります。
ヤコブは離散の地に住み、迫害に恐れるユダヤ人信者たちに対して励ましの手紙を書きました。私たちが、試練の中で不安を抱えている方々へ最高の励ましもまた、みことばではないかなと思います。みことばについて学ぶことは神のことばを正しく理解する上でとても大切なことですが、そのみことばを行う者になることが学びのゴールです。ただ聞くだけの者となってはいけませんとヤコブは言います。なぜならみことばはいのちだからです。今日も主の励ましをいただいて、渇きを覚える方へ主のいのちを運ぶ者として用いられたいと願います。
祈り:愛する天のお父さま。試練の先にある喜びに焦点を合わせ、目の前のことではなく、主が見ておられるその永遠に目を向けて生きていくことができますよう、お導きください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
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