「私たちはイエスを通して、賛美のいけにえ、御名をたたえる唇の果実を、絶えず神にささげようではありませんか。」15節(抜粋)
へブル人への手紙の結びの13章で示されたことは15節の「賛美のいけにえ」だった。私たちはイエスの血潮の贖いによって動物や穀物などのいけにえをささげなくても済むようになった。私たちが神にささげるいけにえは心からの賛美である。
賛美とは、教会だけで歌うことではない。賛美とは礼拝である。その方法はいろんなかたちがある。教会での賛美、集会での賛美、運転しながらの賛美、料理をしながらの賛美、踊りをもってする賛美、分かち合いでの賛美、などいろんな方法があるけど一番大事なのは、主の聖なる御名をほめたたえることなのです。
そして、神は、私たちに、神が喜ばれるいけにえを16節で述べられている。「善を行うことと、分かち合うことを忘れてはいけません。そのようないけにえを、神は喜ばれるのです。」それは、救われた恵みを神と人とに仕え、又、自分自身の生活を神にささげるということです。
ある日の聖日礼拝の時に賛美していた時に、心の中から湧き上がるものがでてきてそれは止めることができなくなっていた。主の哀れみと慈しみに触れさせていただき心のそこから感謝の気持ちになったのである。これが、神が喜ばれる賛美のいけにえだったことがこの15節を通して示された。賛美こそ神にささげるいけにえであり、神と深く交わえて、神の臨在を実感できる時だと思います。
「神へのいけにえは 砕かれた霊。打たれ 砕かれた心。神よ あなたはそれを蔑まれません。」詩編51:17
愛する天の父なる神さま。
イエスさまの十字架の血潮で罪が赦され、あなたの決して変わることのない永遠の愛の中に生かされていることを感謝します。これからも御名をあがめられる賛美のいけにえを心からおささげすることができますように導いてください。感謝して、主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
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