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2023年7月22日 へブル人への手紙 12章

 4節~6節「あなたがたは、罪と戦って、まだ血を流すまで抵抗したことがありません。 そして、あなたがたに向かって子どもたちに対するように語られた、この励ましのことばを忘れています。 「わが子よ、主の訓練を軽んじてはならない。 主に叱られて気落ちしてはならない。主はその愛する者を訓練し、 受け入れるすべての子に、 むちを加えられるのだから。」」


 私は以前、主に叱られると(別の訳では「懲らしめ」)気落ちしていた。そこには恐れがあった。だから、叱られないように、怒られないように、それが動機となって良いクリスチャンであろうと頑張っていたと思う。

 その頃は、「愛する者にムチを加える」という事が、恐怖でしかなかった。そこに愛を感じることは出来なかった。

 私のように、父親に叱られたことがなく育った子どもは、逆に叱られることに極度の恐れを持つようになる。もちろん正反対に暴力的な扱いを受けた子どもも同じだ。両者に共通しているのは、父親像が歪んでしまっているということだ。

 

7節~8節「訓練として耐え忍びなさい。神は、あなたがを子として扱っておられるのです。父が訓練しない子がいるでしょうか。もし、あなたがたが、すべての子が受けている訓練を受けていないとしたら、私生児であって、本当の子ではありません。」


 この御言葉は、私にとって、とても大きな意味を持っている。叱られること、懲らしめを受けることが、私生児ではなく、本当の実子であることの証拠なのだというのだ。

 これは、よく理解できる。私は、父親に叱られたことがないことが、存在不安をもたらし、真の愛が分からなくなった大きな要因だからだ。叱られることが、本当の子どもであることのしるしなのだ。

 私は、30代半ばの時に、本当に神が、私の天の父であり、自分は愛されている神の子どもだということを体験した。その時、この御言葉が、その通りだと納得できた。そして、神に叱られること、怒られることが、恐怖ではなくなった。むしろそこに愛を感じるようになった。神は、それほど本気で自分と関わってくれるお方なのだと感動した。

 父なる神の愛を知れば知るほど、心から恐れが締め出されていく。「主は良いお方」であることが分かってくる。

 父なる神の、本気の愛、その愛に生かされてることを感謝します!

 

 天の父なる神さま

 あなたの大きな、本気の愛を感謝します。いつも私たちと面と向かって、向き合って、腹を割って、本気で関わってくださることを感謝します。このあなたの愛に、これからも生かされていきます。どうぞ、聖霊が励まし、導いてください。

 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン


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