「全き信仰をもって真心から神に近づく」
10章では、古い契約と新しい契約の違いが赤裸々に述べられていることに目が止められた。
古い契約は、年ごとに絶えず献げられる同じいけにえによって、人々を完全にすることはできない。そのようないけにえによって罪が思いだされるのだ。いけにえに使われた雄牛と雄やぎの血は罪を除くことができない。祭司が毎日立って礼拝の務めをなし、同じいけにえを繰り返し献げても、罪を除き去ることはできず、私たちを聖なるものとすることができないのです。
しかし、新しい契約は、聖書の注解釈から詩編40編にあるように、神は、いけにえや穀物のささげ物や罪のきよめのささげ物を喜ばれず、お求めになりませんでした。キリストが自らただ一度だけ献げられたことにより、私たちは聖なるものとされたのです。私たちを罪から解放してくださったのである。さらに、17節では「わたしは、もはや彼らの罪と不法を思い起こさない」といわれるのです。イザヤ書43:25でも述べられています。私の好きな聖句のなかの一つで、洗礼を受ける決心をしたときに触れられた御言葉である。
イエスの贖いのゆえに、17節の御言葉は完全な罪の赦しが述べられています。古い契約の時のような罪のきよめのささげ物はいらなくなり、イエスの血によって私たちは大胆に聖所に入ることができるのである。新しい生ける道を開いてくださったのである。感謝なことである。
私たちは新しい契約のなかで生かされているのだから、著者が言われたように、全き信仰をもって真心から神に近づいていけるようになりたいです。
祈り:愛する天の父なる神さま。私たちは御子イエスの贖いによって罪が赦され、大胆に聖所に入ることができる特権を与えてくださってありがとうございます。今も古い契約にとどまっているユダヤ人が一日も早く新しい契約に目をむけて、受け入れることができますように祈ります。私たちが約束のものを手に入れるために忍耐をもって、あなたのみこころを行っていくことができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
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