『大祭司イエス・キリスト』 アイゾン直子
へブル人への手紙5章11節で中断されていたメルキゼデクの説明の再開です。
メルキゼデクはサレム(エルサレム)の王であり、同時に神の祭司でした。彼の歴史的記述は、創世記14:18‐21にあります。彼はアブラハムの前に突然現れ、いと高き神の名によってアブラハムを祝福した後、アブラハムが差し出した献げものを受け取ると消失します。彼には父もなく、母もなく、系図もありません。ユダヤ人にとって系図はとても大切なものです。なぜなら系図によって彼らがアブラハムの子孫であることが証明され、また旧約時代には、その系図によって各部族の働きが示されたからです。今も12部族のどの系図に属しているかということは彼らにとっては誇りとなっています。
その系図がメルキゼデクにはありません。彼がいつ生まれ、いつ死んだのかなども不明です。しかし彼は、アブラハムから戦利品の十分の一が与えられるほどに偉大な人でした。そのミステリアスな存在のゆえに、いつまでもとこしえの祭司としてとどまっているのです。
新約時代に入り、私たちとともにとこしえにおられる祭司と言えば主イエス・キリストです。このお方についてダビデ王は「あなたはメルキゼデクの例に倣い、とこしえに祭司である」と預言していますが(詩編110:4)その時代はモーセの律法が機能していた時代です。律法によるなら、祭司はレビ人、しかもアロンの家系の者のみと規定されています(民数記3:10)。しかしメルキゼデクはアロンの家系とは関係がありません。また主イエス・キリストもアロンの家系ではありません。つまりダビデ王は、モーセさえも知らない家系から救い主が現れることを預言していたということです。
へブル人への手紙の著者はユダヤ教に戻ろうとするユダヤ人信者たちに対し、モーセの律法に捕らわれない別の祭司が立てられたことを伝えます。その祭司とは、とこしえのいのちを持つ主イエス・キリストであり、このお方はアブラハムが偉大とされたメルキゼデクを超える大祭司であることを伝えます。そしてそのお方の血はすべての罪を拭い去り、もはや罪のためのささげ物など必要としないということを伝えます。
彼らが元のユダヤ教に戻るなら、再びモーセの律法に縛られた人生を歩むことになります。文字で書かれた律法は人を生かすことは出来ません。主イエス・キリストによる新しい律法は人の心に書かれた律法です。それは人を生かす律法です。旧約時代に作られた律法は、主イエスの十字架により完成し、その役目を終えました。私たちは昇天された主イエスに代わって聖霊によって新しい律法を知るようになりました。すべては、今や大祭司となって神の右の座に着座された主イエスのとりなしの祈りが成せるわざです。私たちが救いに与ったのも、信仰を失わずに生活できているのも、その祈りのおかげであることを再確認し、感謝の祈りをささげたいと思います。
祈り:愛する天のお父さま。メルキゼデクについての黙想から、主がおられる天を見上げる導きに至りました。今から4千年以上も前の出来事が、ハワイという小さな島に住む今の私の信仰に繋がり、更には御国へと繋がっているという、その壮大な神のわざに圧倒されます。私に誇るものは何もないのです。私の心に書かれた新しい律法に従い、日々主を礼拝する者とされますよう、お導きください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
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