6章で、著者は私たちクリスチャンにかなり厳しく警告している。
キリストの初歩の教えだけにとどまっていないで成熟を目指して進むこと、そして、天からの賜物、聖霊、神のみことば、来るべき世の力を味わった上で、堕落してしまう人たちはもう一度悔い改めに立ち返らせることはできない、と述べている。
そこで思わされたことは、堕落してしまった人は、本当にどんなに悔い改めても立ち返ることができないのだろうか。神は愛のお方だから、真剣に悔い改めた心を神の前に出していけば赦されることではないのだろうか。
ある解説者(The New Life Mission)によれば、真の福音を信じるようになってから裏切るならば、再び救われる道はありません。それが神のみこころなのです。神の愛はすぐれて偉大で完全なので、敵対する者に対する怒りもまた激しく冷酷なのです。
「ですから、わたしはあなたがたに言います。人はどんな罪も冒瀆も赦していただけますが、御霊に対する冒瀆は赦されません。」(マタイ12:31)
自分の考えが何と浅はかなことであろうかと思い知らされた。そのような思いこそキリストの初歩の教えだけにとどまっているということなのだろう。成熟を目指して進むように努力していけるようになりたいということが示された。
厳しい警告を語った著者は、10節では心が穏やかになることを語っている。
「神は不公平な方ではありませんから、あなたがたの働きや愛を忘れたりなさいません。」(10節抜粋)
そのためにも、12節(抜粋)では、「怠け者とならずに、信仰と忍耐によって約束のものを受け継ぐ人たちに倣う者となることです。」と言っています。
祈り
愛する天の父なる神さま。今日のみことばを感謝します。成熟したクリスチャンになれるには、私にはまだまだ長い旅路です。その旅路でつまずき、倒れたりすることも多々ある弱い私ですが、そのような時でも、信仰と忍耐をもってあなたに祈ることができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
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