無名の著者が書いた3章は、イエスがモーセよりも偉大な方であることを示している。モーセは神の家全体の中で忠実であった。でも、イエスはこの家を建てた方に対して忠実であった。さらに、モーセは神の家の中でしもべとして忠実であった。だが、イエスは、御子として神の家を治めることに忠実であった。どちらが偉大かは明白である。
神の家とは旧約聖書の時代では幕屋であり、神殿であり、神が住まわれるところという意味です。新約時代に生きる私たちには、私たちが神の家であること、そして、もし私たちが神に忠実であるなら神の家となると述べている。そのためには確信と希望による誇りを持ち続けなければならないのです。かつて神が住まわれたところを、私たちが神の家であると、何と光栄なことでしょうか。その名にふさわしく神に忠実でありたいです。
聖霊は、私たちに大切なことを警告しています。今日、神の御声を聞くなら、イスラエルの民が四十年の間の荒野で神に反抗したように、心を頑なにしてはならない、信仰から離れてはいけない、日々互いに励まし合って罪に惑わされて頑なにならないように、今日という日が大事であると述べている。
クリスチャン、みんなが望んでいる安息の地に入るには信仰から離れてはいけないことを強く指摘しています。著者は、私たちにイスラエルの民のようになってはいけないことを述べています。神の御声を聞いたら忠実に従っていくようにと心から訴えているのが伝わってくるようである。
天の父なる神さま。御名をほめたたえます。信仰から離れていかないように、あなたの御声を聞いたら素直に従っていくことができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。
アーメン
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