「よりすぐれた方」
今日からヘブル書が始まりますが、この書の全体を通じて注目する言葉は何度も使われている言葉で、「より優れた、もしくはさらに優れた」という表現です。ヘブル書が書かれたのは、恐らくAD90年頃で著者不明ですが、ユダヤ人クリスチャン向けに、特に今までずっとユダヤ人として伝統を守って育ってきたユダヤ人が主イエスを信じたのですが、今までのモーセの律法、レビ記に対して、より優れた主イエスの教えがどのように関わっているのかを確認する書だと思います。特に、この書が書かれた時期、AD90年頃はクリスチャン迫害の真っ只中で、迫害の対象を逃れている昔のユダヤ教に戻ろうと考えているユダヤ人クリスチャンも多かった事だろうと思うのです。より優れたキリスト教から離れてはいけないと著者が叫んでいます。
この迫害の時期、特にユダヤ人クリスチャンが信仰のふるいにかけられている中で御子イエスは、より優れた方で、神の栄光の輝き、神の本質の現れであると旧約聖書を通じて語りかけているのがヘブル書と理解しましょう。ですから旧約聖書を熟知しているユダヤ人向けですから、私たち異邦人には理解しづらい事も事実です。
4節「御子が受け継いだ御名は、御使いたちの名よりもすばらしく、それだけ御使いよりもすぐれた方となられました。」
迫害だけでなく、異端の考えにも注意を促しています。ここでわざわざ主イエスは御使いよりもすぐれたと、書かれているのは、この時期紀元1世紀から2世紀にかけてグノーシス主義という考え方があり天使を崇拝していました。徹底して霊と肉を分ける考えで、肉は罪悪、霊は純粋という2元論で人間が罪であるのは肉体を持っているからだという考え方でした。ですからイエス・キリストが受肉したので神の御子では無い、人が恵みと信仰によって救われることは無いと聖書の教えに反した、いわば異端の教えがあり、天使は肉体を持たないので純粋、受肉のイエスよりも上であるという考え方があったものに、その異端の教えを諭した文だと理解しましょう。 主イエス>天使を旧約を基に証明しています。
14節「御使いはみな、奉仕する霊であって、救いを受け継ぐことになる人々に仕えるために遣わされているのではありませんか。」
初期の教会では、未だ三位一体の考えが定着しておらずに、天なる神が一番上で、次に主イエス、聖霊に関しては意見がまとまっていなかった背景を理解しましょう。
この御使いよりも、さらにすぐれた御子、主イエス・キリストが私達に語りかけているという事が第1章の力説するところであると思います。今までは預言者達を通じて、色々な方法、それは幻や、奇跡によって語られてきましたが、彼らは言わば前座でした。この主イエスが最後の最後、真打ちで語られたのです。よりすぐれた主のみことばが最後の語りなのですよとヘブル書は伝えているのです。さあどのように優れた教えなのか、ヘブル書の学びを始めましょう。
祈り
この終わりの時に主イエスによって語られた、みことばを聞き、学ぶ機会が与えられた事を感謝いたします。ヘブル的な書の学びですが、理解を深め、主の御声を聞く事ができますように、心を開き、受け入れられますように、聖霊の助けによって私たちを整えてください。
アーメン
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