「アブラハムの信仰が試される時」
アブラハムとサラに待望の息子イサクが与えられた喜びも束の間で、神は、アブラハムにイサクを全焼のささげ物として捧げなさいと命令されたのである。百歳で授かった愛する息子イサクを全焼のささげ物として捧げなければならなかったアブラハムの心中は如何ほどだったでしょうか? サラは知っていたのでしょうか?
アブラハムはきっと苦しんだ後に、神に逆らえない、従う決意をしたのである。それは、神を選んだということである。彼は完璧な人ではなかったけど、神のことばには徹底的に従った人物だったのです。それゆえ、神はイサクを返してくださったのである。そればかりか、神は、18節で「あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたが、わたしの声に聞き従ったからである。」と約束されたのである。アブラハムが「信仰の父」と言われるようになったことが示されている。
ここで、父なる神も、ひとり子イエスが十字架で無残な姿で死んでいくのをごらんになられた御心境を、アブラハムも理解できたことでしょう。
「主の山には備えがある」 22:14(抜粋)
神は、イサクの為に羊の供え物を用意してくださったのである。私たちの信仰生活においても主の山には備えありということを経験することが多々にある。実に感謝なことである。
祈り:
天の父なる神さま。自分の愛する我が子を献げることは、今の私にはできません。でも、主の山には備えありのみことばを信じて捧げていけるように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
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