「私の妹 サラ」
20章になって初めてアブラハムのことが預言者(7節)と呼ばれた。そして信仰の父と呼ばれ、預言者でもあったアブラハムの犯した間違いがここに指摘されている。旧約聖書の中に出場する人物、全ての人において完全なる人は誰もいない。しかしながら、そのそれぞれの欠点を持ちながらも、成長の過程を見守って下さる神がおられることを学ぶ事が出来る。
ユダヤ教、イスラム教もキリスト教も、アブラハムを信仰の父として敬っている。そうして父なる神はこの地の全ての人を救われるためにユダヤ人を起こされました。ユダヤ人だけを救おうとされた訳ではありません。まず一人の者、アブラハムを選び、彼と契約してそこから一大民族を起こし、この世の祭司、伝道者として働くためにユダヤ民族を聖別されたのです。イスラム教がイスラム教徒だけを、ユダヤ教がユダヤ教徒だけを救おうと計画されたのではありません。
この20章にはゲラルの王アビメレクが、アブラハムに妹とされているために、本当は妻であるサラを召し入れた。とありますが、この時期はサラからアブラハムの長子として神の祝福を相続する赤子を授かる時の予定で、18章では3人の御使がアブラハムと食事をしている時に、来年の今頃、あなたの妻サラに子どもが産まれると言われておりました。しかしサラは年を重ねて老人になっていて月のものも止まっていたので、心の中で笑ったとあります。その後にこの王アビメレクがサラを召し入れる話が出て来る訳ですから、神の摂理に反する事がアビメレク王によって、本人は事情も知らないままにサラを召し入れたのです。ところでサラの年齢はすでに88〜89歳の時の話です。
よっぽどの美女であったのでしょうか、昔の人は長生きした事を考慮したとしても、かなり高齢のサラによっぽど魅力があったこと自身、大変な驚きです。
でもうちの奥さんも歳はいってるものの魅力があるから、サラの場合もありえるかもしれませんね。父なる神は、サラから摂理によって産まれようとしている子どもを守る必要に迫られ、アビメレクの夢となって厳しい警告を発せられたのです。信仰の父と敬われているアブラハムも、自分の判断に頼って行動する間違いを犯していたのです。
しかし、果たしてこの20章の強調点は、アブラハムの欠点を指摘する事だけだったのでしょうか、むしろアブラハムが預言者であり、神との仲介者であった事が重要なのかもしれません。
17節「そこでアブラハムは神に祈った。神は、アビメレクとその妻、また女奴隷たちを癒やされたので、彼らは再び子を産むようになった。」
アブラハムは、この前の章ではロトと彼の家族のために神にとりなしの祈り、仲介者となって願いました。今回はアビメレクとその家族のために仲介者となって祈っています。これはやがてこの地に来られる主イエス・キリストが全ての人間と父なる神との仲介者となる事を予表している、そのような内容なのかもしれません。
さらに、この時代に生きる命の危険も感じ取りましょう。
11節「アブラハムは答えた。「この地方には、神を恐れることが全くないので、人々が私の妻のゆえに私を殺すと思ったのです。」
この地方にはソドムやゴモラのような危険な町もあり、弱い者たちを襲い、持ち物を奪うのは当たり前の世界であった事を覚えておきましょう。創世記15章のアブラハム契約では、祝福の言葉と同時にあなた子孫は奴隷となって四百年苦しむと、これから起きる出エジプトの事も預言されていて、なぜなんだろうと不思議に思っていたのですが、この章に来てイスラエル民族を大いなる民族として増やすには、このアブラハムの土地、カナンにしろネゲブの土地にしろ、この地には余りにも敵対する部族が多すぎることが判ります。
神のご計画は、星の数ほどアブラハムの子孫を増やして、多くの国々の父とする事ですが、特にイスラエル民族を民族として育て上げるには、この危険に満ちた土地では困難な事なのです。
そこでエジプトのゴシェンの地に移して、イスラエル民族は大いに子どもの数を増やしたとあります。事実エジプトからの脱出時には200万人から300万人近い人口に増えたのです。なんという神の摂理でしょうか。そのような事を想像しながら創世記の学びに感謝します。
祈り
あまりにも奥深い神のみこころを覚え、感謝いたします。私達の理解を超えた次元で私達を愛して、訓練して、導いていてくださる神に心から感謝いたします。アーメン
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