34章でヤコブ一行がカナンの地シュケムの街近くに宿営していた時、その土地の族長でヒビ人ハモルの子シュケムがヤコブの娘ディナを見て、捕え、寝て辱めた。
私には兄が二人いる。二人ともとても優しい兄である。私が6歳の頃、私が悪ガキにいじめられると仕返しに行き「俺の妹に何かしたらただじゃおかねえぞ、覚えとけ」という感じ。お陰様で、それ以来男の子たちにいじめられることはなく過ごせました。というかそれ以来自分でも強くならないといけないと思い男まさりに育っていきました。
私がもし、ヤコブの娘ディナと同様に陵辱されたりしたら、父と兄たちはどう思い、どのような行動に出ただろうかと考えた。
父は冷静な人だったのでヤコブ同様、相手の両親に何らかの話しをつけるだろう。兄たちもボコボコにするかもしれないが人を殺すまでには至らないと思う。
ヤコブの息子シメオンとレビは本当に妹が可愛く、相手を殺してしまうほどディナを愛していたのだろうなと推測する他はない。
色々な愛の示し方があるのだなあと、比較的平和が保たれているハワイ、そして現在に感謝します。
本題の35章ではヤコブの神様に対する従順さが示されている。
(35:1)「神はヤコブに仰せられた。「立って、ベテルに上り、そこに住みなさい。そしてそこ、あなたが兄エサウから逃れたとき、あなたに現れた神のために祭壇を築きなさい。」
言われた通り、ベテルにヤコブは祭壇を築きその場所をエル・ベテルと呼んだ。
ベテル「Beit El」はBeitが家で、Elが神つまり「神の家」という意味である。「エル」も神様を意味し、よく名前の最初または最後に現在でも米国内外で使われている。
エルの語源は「力」である。“el”または“elle“でガブリエル、エリース、ナタナエル、イライヤなどなど。
「エル・ベテル」には神様が2回表されている。ヤコブはよほど神様に信頼し思いを馳せてその場所を名付けたのだろう、と私自身は考える。息子たちが妹を辱めたシュケムとその父、そしてその街の男たちも殺してしまうという大事件後、ベテルに上れという神様の仰せにヤコブは素直に従う。考えや思いがめちゃくちゃだったであろうその時の神の仰せはヤコブにとってどんなにも恵みであったことか。同時に神様はヤコブをそれほどまでに愛し、確かな計画を持って仰せになったことであろう。
さて、私は神様に「現在地を出て他所に引っ越しなさい」という啓示を受けてすぐ実行できるだろうか?いやすぐには無理だろうと思ってしまう。
祈り:恵み深い全能の父なる神様、どうか私たちがあなたに素直で従順でありますように。迷いがあるものにはそれをのけ、弱い部分には力を与えあなたへの道へと向かうよう日々励まして下さい。啓示を必要とする人々にそれらに気づく知恵を授けて下さい。日々の御言葉に感謝します。あなたが御子イエスを犠牲にしてまで私たちを救い愛してくださっていることに感謝します。天の父なる神様、わたしたちもあなたを愛しています。あなたに従順なものであれるように。尊いイエス キリストの御名により祈ります。アーメン
参照:聖書 新改訳2017©2017 https://graceandmercy.or.jp/app/
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