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2023年6月18日 創世記 32章

『神との格闘、兄エサウに会う恐怖と策略』


 ヤコブは兄エサウのところに使者を送った。使者によると、エサウが四百人を引き連れてこちらに向かっているということだった。そのことを知ったヤコブは、兄がまだ怒っていると思って、非常に恐れて兄の怒りをなだめるために色々と策略をたてるのである。


「自分の先に行く贈り物で彼をなだめ、その後で彼と顔を合わせよう。もしかすると、私を受け入れてくれるかもしれない。」32:20(抜粋)

 何というヤコブの利己的な思いでしょうか。人の怒りを物によってなだめようとする方法をとったのである。神に委ねることのできないヤコブの性格がそこにあらわれたのである。私たちにも思い当たることがあるのではないだろうか。


 ヤコブは神と格闘するというすごい経験をする。人が神と格闘するのは、ここ以外は聖書のどこにも書かれていない。その戦いは、霊的、肉体的なものであったと解釈されている。ヤコブは、神に勝てるという自負心があったのと、神から祝福を得るための戦いでもあったのである。


 不信仰と兄への恐怖で苦しんだヤコブでしたが、ある程度信仰が回復し祈ることができたのである。利己的なヤコブでも苦しみから抜け出ることができるのは真剣になって祈ることを知ったからだ。私たちにも言えることである。人生で順調な時、苦しい時には祈ることを最優先にしていけるようになりたいです。


祈り:愛する天の父なる神さま。人の怒りを鎮めるとき、また、自分自身の怒りを鎮める時は、その人のために、自分のために祈ることを最優先にすることができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン


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