私パウロが自分の手であいさつを記します。これは、私のどの手紙にもあるしるしです。このように私は書くのです。」17節
パウロは自分の手紙は口述筆記をさせて書かれたものであったが、このようにして、「自分の手であいさつを記します。」と書いたのは偽のパウロの手紙が出回っていたためだと言われている。
どのようにパウロは書くのかというと、18節の御言葉である。このパウロの最期の挨拶は、主ご自身の恵みであり、クリスチャン生活の源とも言われている。
「私たちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたすべてとともにありますように。」18節
パウロの厳しい御言葉が示されている。「働きたくない者は食べるな」10節(抜粋)この御言葉は今でもよく使われている。言い方をかえると「働かざる者食うべからず」で、昔、学生時代にバイトをしていた頃に上司がランチで一緒になった時にいつも言っていたことばで、それを聞かされる度に食事が喉につまったことがあった。まさか、このテサロニケ人への手紙第二3章からでてきたこととは知らなかった。その上司も、私にいやみではなくて、真面目に働くことを告げたかったのでしょう。
14節の「もし、この手紙に書いた私たちのことばに従わない者がいれば、そのような人には注意を払い、交際しないようにしなさい。その人が恥じ入るようになるためです。」そんな冷たいと思ったけれども、それは、その人が恥じ入って悔い改めるためであるということである。さらにパウロは、15節で「しかし、敵とは見なさないで、兄弟として諭しなさい。」と付け足してあるのである。つまり、敵としてでなく兄弟としての戒めであるということである。誰もその人をさばくことはできない、私たちができることはその人のために悔い改めへの祈りを神にささげることである。
祈り
天の父なる神さま。パウロの教えを感謝します。教会の兄弟姉妹達との主にあっての良い関係をもつことは、お互いを優しだけではなく時には突き放す厳しさを持ち続けていくことができますように。そして、そのことを通して、主にあって信仰の友としてお互いが成長していくことができますように助けて下さい。感謝して主イエス・キリストの御名によって、委ねて、祈ります。アーメン
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