『一つの御ことば』
ノアの子孫たちが世界中に広がっていく10章。ノアの息子は、セム、ハム、ヤフェテという3人。名前には人種を暗示する意味もあるようで、全人類、ということだ。
子孫は地球上の6大陸と島々に広がり、民族や言語が多様性を帯びていることが記されている。それは神さまが1章で「生めよ。増えよ。地に満ちよ。」と命じ、9章の冒頭でも繰り返した啓示が、この10章で成就したということだ。私たち全人類は神の子、神さまの支配下にあることがよく分かる。
だから大いなる恵みなのだけれど、実際の10章は、カタカナの名前の羅列ばかりでつまらない。人の名前と土地の名前がかぶることもあるのでややこしい。
それでも気を取り直して読み返すと、以下のことが黙想できる。
9章の後半で、ノアは自分で作ったぶどう酒を飲んで酔い、裸になってしまった。それを見た末息子のハムは、兄セムとヤフェテに父の醜態を告げ口した。二人は上着を脱いで、裸を見ないように後ろ向きに歩きながら、父に上着をかけてあげた。
酔いから覚めたノアは、末息子をのろう。ハムの子孫は兄たちのしもべのしもべになれと言い放った。
酔っ払った自分の落ち度を棚に上げて、息子をのろうのは父としてどうかとも思うが、兄二人の行動はうるわしい。愛と寛容だ。ひるがえってハムは軽率だ。権威のある人が失態をしでかすと喜んだり、足を引っ張ったり、あげつらう性癖は、ハムだけでなく、肉の私たちにもありがちだ。
ハムの子孫であるカナン人(6節)は、やがて全民族、女性も子どもも絶滅させられてしまう(申命記2章、3章)。
次の11章で語られるバベルの塔の建設にも、ハムの子孫であるニムロデが首謀者として絡んでいる。
さまざまな民族と言語が生まれた10章とは対照的に、バベルの塔を建てようとした人にとって、「全地は一つの話しことば」(11:1)であったらしい。バベルの人は自分達が主人公になって世界を支配しようとした。多様性こそを良しとした神さまに逆らって、話しことばさえ強制しようとしたー。
続きは明日のお楽しみ‥‥。
明日はちょうどペンテコステでもある。聖霊降誕の大切な記念日だ。
「すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた。」(使徒2:4)
多様性に満ちた全人類を造られた神さまは、いろいろな言葉で自由に話せるようにしてくださった。
一つの話しことばではなく、一つのことば=御ことばを語るために。
あらゆる言語の人々が、イエスさまの愛を語り合えたら、世界はどれほど平和で喜ばしいことでしょう。福音は用意されています。どうかそれを表し、伝えられる者となりますように。イエスさまのお名前で感謝して祈ります。アーメン
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