1節「父親にするように。」、2節「母親にするように。」という言葉が心に止まりました。この日曜日が「母の日」だからだと思います。
それにしても、父と母にするようにと言われますが、それは実際には、どのようにすることなのでしょうか。
よく見ると、この御言葉は「父、母からされたように。」とは書いていません。私たちの人間関係の持ち方、物事への対応の仕方は、多くの場合、両親から無意識のうちに学びます。ですから、父と母からされた仕方で人と物事と関わります。それが良い関わり方である場合もあれば、悪い関わり方になることもあります。もし父母から傷を受けていたら、関わる人も同じように傷つけてしまうことがあります。
ですから、1,2節の御言葉の大前提は、父と母から、とても良い影響を受けているということです。父と母から愛と信頼を学び、他者を尊ぶことや、優しさ、寛容、忍耐を学んでいるので、自分がされたように父と母にするということです。
そのように、祝福が子々孫々に流れていき、また祝福が逆流するように上の世代にも流れていくように、祝福が世代間において循環するなら、それはまさに神の国です。
父にするように、母にするように、出会う人々に祝福を与える存在になれたら、なんと素晴らしいことでしょうか。
しかし、私のようにこの大前提がない人もいます。父と母から祝福よりは、むしと傷、痛み、苦しみを受けて来た人、それに対して、悲しみ、怒り、憎しみ、失望などを持っている場合には、世代間における祝福の循環ではなく、呪いを循環させてしまいます。
しかし今、私の人生には祝福が循環しています。イエスに出会い、天地創造の神を「アバ父よ!」と叫ぶ者とされました。愛されている神の子とされたとき、すべての呪いが祝福に変えられました。そして、1,2節の御言葉に生きる者と変えられたのです。
「母の日」は、母親という立場の方ために、神の祝福を祈り願う日です。しかし、それは「母の日」の意味の半分だけです。「母の日」は、地上に存在するすべての人が、自分の母に「ありがとう」を伝える日です。
イエスの恵みによって、父、母との関係に癒しと回復が与えられますように。そして、父を祝福するように、母を祝福するように、出会う人を祝福する者でありたいと願います。
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