ゼパニヤ書最後の章は、前半が主のさばきで後半が救いの希望が述べられている。
神の呼びかけを聞こうともせず、戒めを受け入れようともせず、主に依り頼まず、神に近づこうともしないエルサレムの罪が示されている。都の高官たちは、雄獅子や狼のように弱い者の骨をかじり、預言者たちは、ふしだらで裏切り者、祭司たちは聖なるものを冒して、みおしえを冒瀆していた。それゆえに、主はエルサレムを滅ばされるのである。それでも主は、7節(抜粋)で「あなたはただ、わたしを恐れ、戒めを受け入れよ。そうすれば、わたしがこの都をどれほど罰しても、その住まいは断ち切られない。」と語られるのである。何とご慈愛に満ちた語りでしょうか。
9節以降は、主の憐れみによって滅びから救われた「残りの者」への神ご自身の民への限りない愛が述べられている。それは、彼らが主の御名を呼び求め、一つになって主に仕え、主の前にへりくだることができるからだ。そして、何処にも寄るべのない貧しいこの民を守り養われるのである。彼らは主の名に身を避ける。さらに主は、全世界にいるこの民を神の国に連れ帰り、地のあらゆる民の間で栄誉ある名を与えると語られるのである。主はさばくおかたであると同時に救われるおかたである。
祈り
愛する天の父なる神さま。あなたの愛を感謝します。今日はイエスさまが復活された日です。イエスさまのよみがえられたことを心から感謝します。これからも、主と共に死に、主と共に永遠に生きることができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
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