「主の日の裁き」
ゼパニヤは、十二小預言者の九人目で、王の家系から出た預言者で、ヒゼキヤ王(紀元前715-687年頃)の曾曾孫にあたり、ヨシア王時代(紀元前640-609年)に活動した預言者です。余談ですが、自分の家系が四代にまでさかのぼって明確にされている預言者は、ゼパニヤだけで、王の家系であるという珍しい預言者です(ハーベストタイムミニストリーより)。
ヨシア王以前、ユダはアッシリアの植民地とされ、マナセ王(紀元前687-642年)はアッシリアの祭儀を取り入れ、国中に異教礼拝が蔓延していました。異教礼拝の蔓延は政治の堕落、民の倫理の低下を招いて、不正がはびこっていました。そのような時代にゼパニヤは神のうながしを受けて、世界を襲う主の裁きの日が来ることを預言して、社会に警鐘をならしました。
「『主は良いことも、悪いこともしない』と言う人々をわたしは罰す。」(12節抜粋)という預言の言葉にわたしは目が止まりました。神様を侮ることは、神の怒りにふれてしまいます。 平和が続き、衣食が満たされると、人々は神に対して無関心無感動になります。『主は良いことも、悪いこともしない』とは、今日でいえば、「神など要らない」、「神なしで生きていける」という言葉に置き換えられます。それはありえないことですが、わたしたち弱く傲慢な人間が陥りやすい悪魔の誘惑です。
最後にゼパニヤは、主の日の恐ろしさを語ります。ゼパニヤは、人々が崇拝していた神々も、アッシリア軍の力も人々を救うことができないと知っていました。神は哀れみ深く、恵み深い方ですが、その警告が無視されるならば、裁きは避けられません。神の裁きの日については御言葉で何度も書かれていて、預言者達はこれを「主の日」とよび、エルサレムの崩壊などの出来事はやがて必ず来る主の日を指していると語ったのです。
「全地は主のねたみの火にのまれる。主は地に住む人々をたちまち滅ぼし尽くされる。」
(18節抜粋)
主への祈り、ゼパニヤの預言の言葉を有難うございます。私たちの罪のために、瀕死の状態で十字架を背負い、十字架上にかかった神の独り子イエス様のことを覚えて深く感謝し、あなたの御名によって祈ります。神の愛を有難うございます。 アーメン
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