『わたしは、この手を小さい者たちに向ける』 アイゾン直子
旧約時代、主はいろいろな預言者たちを通して救い主の到来を語って来られました。中でもゼカリヤの預言は救い主の初臨だけでなく、再臨についても語られているところが非常に興味深いところだといいます。
13章の冒頭に「その日、ダビデの家とエルサレムの住民のために、罪と汚れをきよめる一つの泉が開かれる」とあります。これは、すべての罪人が絶ち滅ぼされた後に開かれる泉を指していると言います。エゼキエル書47章1節にも書かれてあった、主イエスが王となられる千年王国の神殿から流れ出る泉を思い起こさせます。
ゼカリヤは、この泉が開かれるとはどういうことなのかを、次の2節から6節で説明しています。偶像はこの地上から絶ち滅ぼされ、偽預言者たちも滅ぼされます。そしてそれらのさばきの前に起きることについては、次の節から預言されています。注目したいのは、次の7節と8節の間には、十字架から再臨までの時間が流れているということです。私たちにとってはすでに2千年という時が流れています。そこからさらにどれだけの時間が残されているのか、誰にも知ることはできません。しかし神にとってそれは隣り合わせであるというメッセージなのかもしれません。
「剣よ、目覚めよ。わたしの羊飼いに向かい、わたしの仲間に向かえ。―万軍の主のことばー。羊飼いを打て。すると、羊の群れは散らされて行き、わたしは、この手を小さい者たちに向ける。」(13:7)
剣は神のさばきのことです。神によるさばきは羊飼いに向けられます。この預言は、主イエスが全人類の罪を負って十字架刑に向かわれたことによって成就しました。そしてその出来事によってしもべたちも散らされました。しかし主は、その小さい者たちに御手を向けると約束されています。それは、主イエスの復活後から活動を始めた使徒たち、そして現代のクリスチャンへと引き継がれています。しかし、この救いの時代、恵みの時代もやがては終わることが次に預言されています。
「全地はこうなる。―主のことばー。その三分の二は断たれ、死に絶え、三分の一がそこに残る。わたしはその三分の一を火の中に入れ、銀を練るように彼らを練り、金を試すように彼らを試す。彼らはわたしの名を呼び、わたしは『これはわたしの民』と言い、彼らは『主は私の神』と言う。」(13:8‐9)
不信仰な者たちへのさばきが下され、真の信仰者たちは残ることが預言されています。彼らは銀を練るように練られ、金を試すように試すと主は言われます。つまり溶かして、精錬して、再生するということです。主がきよくされるとはそういうことなのだと思います。単に表面をきれいにするのではなく、溶かして、全く新しいものに造り変えるのです。そうして新しくされた者たちを主は「これはわたしの民」と言い、彼らは「主は私の神」と呼ぶのです。
現在の全世界クリスチャン人口は、約26億人だそうです(https://goodfaithmedia.org/参照)。世界的に見れば全人類の32%がクリスチャンであることを表明しているわけですが、日本のクリスチャン人口はというと、世界の1%にも達していません。非常に少ない数ですが、そのような小さな群れに主はその御手を向けると言われたのです。いつの時代も、主を信じる者は小さな群れであり、そこに御手が向けられているのです。数ではないと言われる主の愛に大きな励ましを受けます。
祈り:愛する天のお父さま。主を信じる者は少数です。しかしその小さな群れをあなたは愛し、あなたの尊い働きのために用いてくださいます。その働きの大小に関わらず、またその成果の大小に関わらず、種を蒔き続ける者でありたいと思います。どうぞ、あなたの道を歩む者としてさらに、きよめられていきますようお願いします。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
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