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2023年4月2日 ディボーション

hccnichigo

ナホム書 2章


 ナホム書というのは、私自身の聖書の中で黄色のマーカーが全然ついていない、まるで初めて聖書を開く気持ちにさせられる箇所であった。聖書をいかにただの文字読みで通り越していたかと思うとき、神さまに、「ごめんなさい。」と言いたくなる気持ちにさせられるところである。余談になったけれど、ナホム書2章は、主がニネベに復讐されることが宣べられている。半端ない主の復讐の様子が3節から9節まで描写されている。ニネベの町はイスラエルを苦しめた為に滅ぼされるのである。


 かつてはニネベの町は、雄獅子のように強い街であり、彼らを脅かすものは何もなく豊かに富んでいた。しかし、その富や栄も、主に背き、高慢になってしまったら、主の復讐によって一瞬にしてすべてが滅び失せてしまうのである。主は、罪に満ちた国、又は、人であろうとも決して見逃されないおかたである。私たちは、今、第三者になって聖書を読み当時の人々のことを知ることができるけれども、いつも思わされることは、自分が当時の人々のなかにいたらどうだったのだろうかということである。当時のそれぞれの預言者達をとおして主が語られたことを聞き、受け入れることができただろうかと思うところである。

 しかし、新約に生きる私たちは、イエス・キリストの十字架の贖いによって罪が赦され、そして、イエスと共に死に、イエスと共に生きるということの確信をもつことができることは感謝である。


 受難節の関牧師の学びも木曜日で終わった。最後の学びのところで、心に示されたことは、律法主義と恵みだった。私たちは、この世ではいつでも律法主義との戦いみたいなものである。つまり、律法主義とは、「何々しなければならない」という縛られた自由のないことである。しかし、恵みとは、「だからこうするのだ。」と確信してピリオドを打つことだと言うことである。確信をもってピリオドをうてるように、恵みをもつものになれたらいいなと示された。


天の父なる神さま。罪をおかしたら悔い改める特権が与えられていることを感謝します。いつも他者に対して謙遜な心をもって祈ることができますように導いてください。感謝し、委ねて、主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン


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