ミカ書 2章
『私たちはレムナント』 アイゾン直子
前章で、サマリヤとエルサレムへのさばきについて預言したミカは、次に裕福な支配者階級の人たちに対するさばきを伝えます。彼らは不法を謀って、民の持ち家や相続地をゆすり取っていました(1‐2)。主に敵対し、通りを行く者や戦いから帰って来た者からは、豪華な上着をはぎ取ったり、女たちを家から追い出したりしていました(8‐9)。そのような民に対してミカは主のことばを伝えます。
「見よ、わたしはこういう氏族に、わざわいを下そうと考えている。そこからあなたがたは頭をもたげることもできず、胸を張って歩くこともできなくなる。それは、わざわいの時だからだ。」(3)
しかし彼らは耳を貸すどころかミカを嘲って、「戯言を言うな。そんな戯言を言ってはならない。辱めを受けることはない。ヤコブの家がそんなことを言われてもよいものか」(6‐7抜粋)とうそぶきました。
彼らにとってミカのメッセージは、「戯言」でした。彼らは、ヤコブの子孫である自分たちにそのような悪いことは起きないと自負していたのです。しかし主の目には、主の敵として立ち上がった民(8節抜粋)として映っていました。
ミカの預言は北王国のアッシリア捕囚、また南王国のバビロン捕囚を預言していました。ちなみに、北王国の都であったサマリアは、異邦人の入植によって雑婚が始まり、そこから生まれた子孫が、イエスの時代に登場する「サマリヤ人」を形成することになります。
背信を続けた民のさばきとは、各地への離散というものでした。それは、神に選ばれし民であるという誇りを打ち砕く体験でした。彼らのこの状態は、イスラエルが建国された現在も続いています。しかし彼らは、帰れないのではなく、帰国することを拒否している人たちです。離散の土地での生活が良ければ良いほど、帰国しないのです。しかし、やがて彼らはみな集められるのです。ミカはやがて到来される救い主によって、ヤコブを、イスラエルの残りの者を集めると預言しています。
「ヤコブよ。わたしは、あなたを必ずみな集め、イスラエルの残りの者を必ず呼び集める。わたしは彼らを、囲いの中の羊のように、牧場の中の群れのように、一つに集める。こうして、人々のざわめきが起こる。打ち破る者は彼らの先頭に立って上って行く。彼らの門は打ち破って進み、そこを出て行く。彼らの王が彼らの前を、主が彼らの先頭を進む。」(12‐13)
北王国も南王国も、モーセの律法に逆らった生活をしていました。しかし、すべての人が神に敵対する者となったのではないということを覚えたいと思います。どのような時代にあっても神は必ず、真の信仰者を残されました。彼らは「レムナント」と呼ばれる人たちです。彼らに関する記述は、なんと69箇所にもわたって、聖書に書かれています(https://bible.knowing-jesus.com/topics/Remnant 参照)。
聖書を読んでいると、主に反抗するイスラエルへのさばきに注目しがちですが、救い主の到来、そして御国到来への希望もまた、必ず語られている内容です。それは、どの時代にあっても真の信仰者(レムナント)がいたということです。彼らのゆえに、救い主イエスも到来されました。ルカは、「この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々」、と呼んでいます(ルカ1:12抜粋)。
現代のレムナントは、ユダヤ教からキリスト教に回宗したMessianic Jewsたちを直接的には指しますが、イエスの十字架によって、彼らと一つにされた異邦人クリスチャンもまたレムナントであると思います。
私たちも、神の計画に参加する者です。それぞれに与えられた神のご計画はバラエティに富んでいて、どの計画に自分が参加しているのか、分からないほどだと思います。それぞれ賜物に応じて、牧師や宣教師、伝道師といった大きな働きをする者から、奉仕するもの、聖書を学ぶ者、主日礼拝を守る者に至るまで、すべて、神のご計画のためであると思います。
受難節にあって、イエスの血の贖いは私の罪のためであったと信じると同時に、古い過去の自分の霊的死を認め、新生した自らを生きるため聖霊にすべてを委ね、御国への希望を抱きながら、悪魔に支配されているこの世界を、真の信仰者として歩みたいと願い、使徒信条を宣言したいと思います。
「われは天地の造り主、全能の父なる神を信ず。われはその一人子、われらの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりて宿り、おとめマリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架に付けれら、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより来たりて、生ける者と死にたる者をさばきたまわん。われは聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、からだのよみがえり、とこしえの命を信ず。アーメン。」
祈り:愛する天のお父さま。イエスさまの十字架の贖いは、私の罪のため、その死は、古い私の死でした。そして、三日後の復活は、新しい自分の新生、更には、キリスト再臨による復活の約束です。十字架によって、本来なら、救いに与る者ではなかった者が、救いに与る者とされました。この福音が、一人でも多くの方々に届きますように。どうか、日本にリバイバルがもたらされますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
Comments