ヨナ書 4章
『惜しむ神さま』
ホセア、ヨエル、アモス‥‥預言者たちは全身全霊で悔い改めを説くが、イスラエルの民は従おうとしてくれない。なんだか私まで、悔い改めの空振り疲れをして、聖書を読むのがつらくなる。
昔は良かったなあ。
預言者の元祖、モーセはエジプトにいた民をカナンの地まで導くことができた。サムエルは小さな頃から神さまに従順で、士師としてヒーローでもあった。エリヤもトップクラスの預言者で、死なずに天に凱旋していった。イザヤは重鎮、エレミアは涙の苦労人、ダニエルはイケメンで秀才預言者だった。
だけど悔い改め率100%成功の預言者はこのヨナだけだ。1回こっきりの預言が、大成功しちゃったのだ。
神さまとヨナは、尊父とはねっ返りの駄々っ子みたいな関係だ。
異国のニネベに行けと告げられたのに船に乗って逃げ出した。神さまは大嵐を起こして難破させようとし、乗船者からヨナは吊し上げられる。するとヨナは、意外にすんなり悔い改め、海に投げ込んでくださいと死をも覚悟する。
神さまは大きな魚の腹の中にヨナを引き込んだ。
2章でヨナは、魚の腹の中で神さまに祈った。神さまは母の胎内のような、静まりの場を与えたのだ。ヨナは「救いは主のものです。」(2:9)と、神さまに完全に明け渡すことができた。
神さまはもう一度ヨナを用いてくださった。「あと四十日すると、ニネべは滅びる。」(3:4)と、ヨナは預言した。すると今、アズベリー神学校で起きているようなリバイバルが起きて、ニネべの人々は全員神さまを信じて悔い改めた。
神さまは異邦人であるニネべの人々をも愛して救いたいから、思い直して滅びをやめた。
それに嫉妬したのか、自分の預言が成就しなかったのが気に入らないのか、ヨナは逆上して神さまに食ってかかった。自分のメンツは丸潰れだ、いっそ死んだ方がマシだと、神さまに対してケンカ腰というか駄々をこねた。
でも私は嫌いじゃない。むき出しの自分を神さまにぶつけるヨナは自己中だけど正直だ。
尊父神さまは、炎天下のもとでニネべの街を監視するヨナに、「唐胡麻」の植物で日陰を作り、「ヨナの不機嫌を直そうとされた」(4:6抜粋)。
いじける息子をそれでも愛す、父の慈愛なのだ。私のような者でもヨナのように慈しんでくださる神さまなのだ。
ところが害虫の影響で唐胡麻は一夜にして枯れた。すると太陽はヨナの頭に照りつけ、ヨナは干からび弱り果て、「私は生きているより死んだほうがましだ。」(4:8抜粋)と、自暴自棄になった。
なんの労苦も感謝もせずに使った唐胡麻を失って、逆ギレするなら、ニネベを滅ぼすことを惜しんで救済するのは当然ではないかと、神さまは呟く。
「ましてわたしは、この大きな都ニネベを惜しまないでいられるだろうか。そこには、右も左も分からない十二万人以上の人間と、数多くの家畜がいるではないか。」(4:11)
ヨナ書はこれであっけなく終わってしまう。この最終節は、ヨナとの対話というよりも、異国のニネベをはじめ、イスラエルの民以外の、私たちをも含む全世界を見渡して、神さまは呟かれたのではないだろうか。
分断ではなく和解を、滅亡ではなく救済を成就するために。ひとり子イエスさまをも遣わし、すべての人の罪を負い十字架にかけてまで。
静まってレントの日々を祈ります。
Comments