コロサイ人への手紙 1章
「本物の信仰」
コロサイ教会、この教会はパウロが作り上げた教会ではなく、パウロがエペソに3年の伝道をしていました時に、コロサイの住人でエパフラスという人がエペソに来て、恐らくそこでパウロから福音を聞いたと思われます。それから彼はコロサイに戻ってホームチャーチを始めたようです。 紀元64年に大きな地震があって町は跡形無く崩れ去ったので今では、それがどこであったのかわかりません。コロサイ書は紀元61年から62年ごろ エペソ、ピリピと共に書かれた獄中書簡 の手紙ですが、このコロサイが1番小さな教会、十人ぐらいの家庭集会であっただろうと言われています。その小さな教会にキリストを信じるだけでは救われない、ユダヤ教の律法主義的な教えや、ギリシャ哲学の グノーシス主義が入ってきた。小さな群れの教会に入って来ようとしている狼に対して、神の奥義を伝えようとパウロが書いた手紙です。
このコロサイの近くの町、ラオデキアは薬剤師、薬学が発生したところですし、ヒエラポリスはギリシャの都市として有名になっていった都市です。コロサイは どうやら商業の町であったようです。ピレモンもこのコロサイ教会のメンバーであったようで、そこからオネシモが逃げ出してパウロにあってもう一度帰る時に、この手紙を持って帰って来たのがこのコロサイ教会だろうと言われています。
コロサイに入ってきた教えのひとつは、ユダヤ教的な律法主義であったようです。神を信じるだけで救われるなんて、そんな虫の良い事はないという教え、神の言われる事を守って割礼をして、倫理的に正しい歩みをしなければ救われれないという律法主義です。もう一つはグノーシス主義と言って神の知恵を与えられて物事を判断する 、天上のものは全て良い、例えば天使礼拝 、天のもの崇拝の考え方、そのような教えに対し 軌道修正したのがこのコロサイの手紙でなのです。
23節「ただし、あなたがたは信仰の上に土台を据え、堅く立ち、聞いている福音の望みから外れることなく、信仰にとどまらなければなりません。この福音は、天の下のすべての造られたものに宣べ伝えており、私パウロもそれに仕える者となりました」
現代の教会にも色々な教えが忍び込んでこようとしています。ヨハネの黙示録は、7つの教会に書かれたわけですが、それぞれの教会は長所もありますが非難すべきこともあり、私たちが立ち向かっている事も含まれているのです。異端の教えを信じながら教会に来ていたり、信者の不品行をそのまま放置していたり、エペソの教会へ、あなたは初めの愛から離れてしまった。ラオデキアの教会には、あなた方は自分達は富んでいると思っている、とんでもないあなたがたの信仰が生ぬるいとも非難されています。果たして主を愛するというのは、どういう事なのか?
ヨハネの手紙第一5章3節「神の命令を守ること、それが、神を愛することです。神の命令は重荷とはなりません」それでは、この神の命令とは何か、同じくヨハネの手紙第一3章23節では「私たちが御子イエス・キリストの名を信じ、キリストが命じられたとおりに互いに愛し合うこと、それが神の命令です。」
本物の主の救いには力があり、自分自身の罪に対する良心の呵責、罪悪感が消えて無くなるだけで無く、今まで赦す事が出来なかった相手を赦す事が出来る力を持っているのです。
ガリラヤ湖畔には、今は跡形もなく、掘り起こされた遺跡しか残っていない3つの町がありました。ベツサイダ、コラジンとカペナウムです。主イエスが直接、自分自身で神の福音を伝道された町々で、数々の奇跡を町の人々は、その目で見ていたのにも関わらず、悔い改めをせずに、逆に祝福を受けるどころか不運の町になってしまいました。
ルカの福音書10章13節「ああ、コラジン。ああ、ベツサイダ。おまえたちの間で行われた力あるわざが、ツロとシドンで行われていたら、彼らはとうの昔に粗布をまとい、灰をかぶって座り、悔い改めていたことだろう。」
この後の節にカペナウムは黄泉に落とされると主が言われた。主イエスの数々の奇跡を目撃し、神の御子自身から直接の教えを受けた町の人々が信じる事が出来なかった、まして現代の私たちに与えられたのは、聖書のみことばを読むことだけで信仰に至る事は至難の技だ、それだからこそ、主の助け主である、聖霊を、か弱い私達に送って下さったんですね。
祈り
主イエスが送って下さった聖霊の火を消さないように、日々みことばを口にして、主を見上げ、祈る事が出来る喜びに感謝します。初めの愛から遠ざからないように導き下さい。アーメン
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