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2023年2月11日 ディボーション

ホセア書 10章


『わたしはまことのぶどうの木』


「イスラエルは生い茂るぶどうの木。それは多くの実をつけた。」(1節)

 多くの実をつけたことは罪で、イスラエルの民は神のさばきを受けると厳しく告げられる。

 ぶどうが実を結ぶと、罪となるのだろうか? 

 ぶどうの木のたとえの中で最も明解な、イエスさまはまことのぶどうの木、ヨハネ15:1〜5を読み直した。

「わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。」(15:5)

 枝としてとどまっていることと、多くの実を結ぶことと、どちらが大切か? もちろん枝としてしっかり木(イエスさま)に繋がっていることだ。そうすれば、実(恵み)は結果としてついてくる。だけど実の味を占めると、実の収穫ばかりに関心が向き、実が “ 目的 “ で、木に繋がっていることは “ 手段 “ になり下がってしまう。

 本末転倒で恐ろしいことだけれど、私自身、日々の生活の中でイエスさまにとどまっていることよりも、願いがかなうことを優先して祈っていることがある。「御こころならば従います」、と告白できる者でありたい。


 12節にも「誠実の実を刈り入れよ」と、実(恵み)が出てくる。

「あなたがたは正義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れ、耕地を開拓せよ。今が主を求める時だ。ついに主は来て、正義の雨をあなたがたの上に降らせる。」

 ハレルヤ! なんという祝福! と、喜びたいところだけど、ホセア書の文脈ではイスラエルの背信の民への最後通告となる。ここで悔い改めなければ恐るべきさばきが下されるのだ。神さまをどんなにひどく裏切っても、神さまは私たちを捨てられない、愛することをやめられないお方である。だからラストチャンスをくださった。その行間に、神さまの痛み、うめきが聞こえてきそうな場面なのだ。

 ただ、御ことばだけを味わうと、ここにもまことの、真実の神さまの姿がある。

「あなたがたは正義の種を蒔き」とあるが、これは自分中心の行為ではなく、神の義、神さまの正しさの中に生きるということだ。そうすると「誠実の実」、真実の愛を受け取ることができる。そのためには常日頃から、信仰の心をふかふかに耕しておかなければならない。恵みの雨をからだ中で受け取り、沁みわたらせるために。

 農耕は一朝一夕で成るものではなく、つくづく忍耐と従順が必要だ。結果を焦ることなく、おだやかな心で待つことを覚えたい。

 ヤコブの手紙5:7、8で祈ります。

「ですから、兄弟たち。主が来られる時まで耐え忍びなさい。見なさい。農夫は大地の貴重な実りを、初めの雨や後の雨が降るまで耐え忍んで待っています。あなたがたも耐え忍びなさい。心を強くしなさい。主が来られる時が近づいているからです。」

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