「彼は大声で言った。『神を恐れよ。神に栄光を帰せよ。神のさばきの時が来たからだ。天と地と海と水の源を創造した方を礼拝せよ。』」(7)
神のさばきの時、その時に私たちがするべきことは、神を恐れること、神に栄光を帰すること、礼拝すること、この3つだ。
神を恐れるとは、意味としては畏れることだ。神に対して恐怖で震えることを言っているのではなく、畏怖の念を持つことを言っている。
愛には、恐れはない。しかし愛には、畏れがある。神のさばきという事実の前に私たちは襟を正される。しかしそれは、主に再び会う時でもある。イエスを信じて救われた私たちにとって、それは希望の時である。
神を侮ってはならない。神に対して畏怖の念を持つことは、とても大切なことなのだ。
神に栄光を帰するのだ。ここに混ぜ物があってはならない。神のためと言いながら、そこに自分の欲を満たそうとする心が混ざっていたら、それはバラムの教え、ニコライ派の教えとなってしまう。私たちの二心が清められて、真っすぐな一つの心となるように。文字通りに、神に栄光を帰する者であるように。
創造主を礼拝するのだ。神のさばきの時にこそ、私たちは神を礼拝するのだ。なぜなら礼拝とは、天と地が一つとなる時だから。待ち望んでいる新天新地では、賛美が絶え間なく捧げられている。だからこの地上の賛美は、天の賛美に呼応するものなのだ。
主のさばきの時とは、主が再び来られる時、それは私たちにとっては主に再び会うという大いなる喜びの時なのだ。だから私たちは、主を礼拝し、賛美をもってお迎えするのだ。
天の父なる神さま
主の日は、近いのです。それはさばきの時でもあります。しかし私たちにとって、神のさばきは、神の救いと同じです。イエスさまによって救われた者であることを心から感謝します。
さらに、あなたを畏れ、栄光を帰し、礼拝する者として、今のこの時を過ごすことができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
文:関真士
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