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2023年12月26日 申命記10章

『律法の重要な戒め』


 主イエスは律法学者からの質問を受け、いったい律法のどの戒めが一番重要かと問われた時に、「あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」次に「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」と二つの重要な戒めを律法のまとめとしてマタイ22章で答えました。


 この申命記10章には、なんと同じような内容が示されているのです。

10章12~13節「イスラエルよ。今、あなたの神、主が、あなたに求められていることは何か。それは、ただあなたの神、主を恐れ、主のすべての道に歩み、主を愛し、心を尽くし、いのちを尽してあなたの神、主に仕え、あなたの幸せのために私が今日あなたに命じる、主の命令と掟を守ることである。」これは申命記6章5節にある「シャマ」聞きなさいからです。

18~19節 「みなしごや、やもめのためにさばきを行い、寄留者を愛して、これに食物と衣服を与えられる。あなたがたは寄留者を愛しなさい。あなたがたもエジプトの地で寄留の民だったからである。」このように主を愛せ、掟を守れ、そして隣人を愛せとはもとをたどれば申命記にも示されていたのですね。


 申命記6章ですでに学ばれたかもしれませんが、心を尽くしてあなたの神、主を愛さなければならない(シャマ)は、イスラエルでは子供と一緒に歩いている時に、親が突然、シャマと声をかけられると、子供は、聞けイスラエル良い、唯一の神を愛するという聖句を暗誦しどのような時にも応えることが求められています。そしてイスラエルでは家の部屋の入り口、ホテルの部屋の入り口にも、このシャマが書かれた小箱がくっついていて、ユダヤ人はそれに触れてから入室する、家でも同じようにしているそうです。律法を守って、家の入口の柱と、門に書き記し、正統派のユダヤ人は、目と目の間に、天狗のように、このお守りを付けて祈っていました。なぜにこれほどまでに主を愛せと教えるのかという理由を探ると、行き着くところは、神がそれほど私たちを愛していて下さっているから、その愛に応えるということではないかと思うのです。


 しかし、このシャマを繰り返しながら生きるイスラエルの民は、目の前に現れた神の御子である主イエスのみことばを聞くことができなかったのです。心を開かなかった、16節にはあなたがたの心の包皮に割礼を施しなさい、とあるのに表面的な割礼にこだわり、心に律法の最も肝心な精神を受け入れなかった。イスラエルの民にうなじが固くする者であってはならないという神の戒めにも背いているのです。


 異邦人伝道に力を入れた使徒パウロは、イスラエルの民がうなじが固く主イエスを受け入れない事も、クリスチャンの迫害があった事で、迫害から逃れるように異郷の地に散らばって行く事、エルサレムから世界へと逃れて行く事も含めて、異邦人に伝道する神の奥義と捉えている。確かにそのようにして、キリスト教は世界的な広がりをみせ、アジア大陸から、北米から、ヨーロッパ大陸からエルサレムに向かって主イエスの教えがブーメランのように戻ってきている、やがて聖なる民、イスラエル民族が主イエスを求める声をあげた時に、主は戻ってくると約束されている。なんという壮大な神の奥義でしょう。


祈り

神の選ばれた民、イスラエルは今日も試練の中に立たされております。おそらくもっと厳しい、世界中の国々から攻められる様子が黙示録にはありますが、これもやがて主イエスが再臨される前兆となってゆくのでしょう。主の約束、主はユダヤ民族の父祖たちを慕って、彼らを愛された。そのため子孫の彼らを選ばれた。神の慈しみを信じます。アーメン 

文:森 宗孝


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