『荒野の40年の間の出来事を忘れてはならない。』
申命記8章で示されたことは、荒野での40年間のことを覚えること、主をたたえること、主をわすれないことである。
荒野は信仰を訓練する場であり、主が民を試される場となったのである。それは、主に信頼するか、主につぶやくかのどちらかである。主に信頼するためのゴールは、主を恐れ、主の命令に従うことである。当時の荒野は、今の私に例えるとすれば試練そのものだと思っている。
私も7年前に大きな試練に出あわせられた。その時、今でも覚えていることは、信仰の乏しい自分にとって、ヤコブの手紙1:2「私の兄弟たち。様々な試練にあうときはいつでも、この上もない喜びと思いなさい。」の御言葉を受け入れることができなかった。なぜですか?どうしてですか?とただつぶやくだけだったのである。主に信頼することができなかった。ずっと主に背を向けた日々を送っていたことがあった。
だが、主は時を与えて忍耐をもって私が背の向きを変えるのを待っていてくださったのである。いま、私が主の御言葉をうけいれるようになったのは、決して、「私の力、私の手の力がこの富を築き上げたのだ。」17節(一部抜粋)ではないことがはっきりとわかる。すべては、イエス・キリストを通して神との関係を深めることができたと確信する。それと、教会の兄弟姉妹たちの祈りによって今日を迎えることができたのである。感謝である。
愛する天の父なる神さま。今日の御言葉を心から感謝します。主の警告は、約束の地に入っても、豊かな生活をするようになっても、神をわすれないようにしなさいということは、私にも言えることです。自分が歩んできた試練が何を意味しているかを示してくださって感謝します。どのようなことが起こっても、神をわすれずに、又、自分が通ってきた試練からの救いを他者の為に用いていくことができますように導いてください。感謝して主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。
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