この章では七つの異邦の民を聖絶せよ、との主の命令がモーセを通して語られる。
時代背景はエジプトを出て約40年の荒野での旅がもうすぐ終わる頃、モーセが率いるイスラエルの民はいよいよ約束の地カナンの入り口に辿り着く。しかし、モーセは天召が近い。神様が一番嫌う偶像礼拝をしているこの七つの異邦人が住む所を通らなければならない。彼らは自分たちより数多く、強そうな民ばかりである。それを聖絶せよ、と言われた。イスラエルの民は、勝てるかどうか不安でいっぱい。そんな弱気になる民を神様がモーセを通して、若者に向けて世代交代(ヨシュアに)を促しつつ激励する。なので、創、出、レビ、民、申命記、ヨシュア、と続く。
2節「あなたの神、主が彼らをあなたに渡し、あなたがこれを討つとき、あなたは彼らを必ず聖絶しなければならない。彼らとなんの契約も結んではならない。また、彼らに哀れみを示してはならない。」
ここで神様が、自分たちより強いと思われる七つの異邦の民、女も子供も根絶やしにするようにと命じられ、驚く。しかも哀れみをかけるな、と。なぜ子供まで聖絶?
それはイスラエルの民は神様が愛した宝の民だから、そして、父祖たちに誓った誓いをいつまでも守られるから。その誓いとは土地の約束、多産の約束、病気からの解放、疫病からの守り。人間が誘惑に弱いのを神様はよくご存知で、わずかのパン種がこねた粉全体を大きくふくらませるように、少しでも関わると大きな罪を犯すから 姻戚関係に入ってはならないと、3節で命じられる。
聖絶する理由が、4節「というのは、彼らはあなたの息子を私から引き離し、ほかの神々に仕えさせ、こうして主の怒りがあなた方に向かって燃え上がって、あなたを直ちに根絶やしにするからである。」主の怒りがイスラエルの民に降りないようにが理由である。どこまでも宝の民であるイスラエルの民を愛する主である。この深い愛は、主イエス・キリストが十字架で私たちの罪を赦し、きよめられ 永遠の命が与えられたと信じる私たちにも与えられている。なので「イスラエルの民」や「あなた」を自分の名前に換えて読んでみると、もっとわかりやすくなり感動があふれる。
2節で注目したいのは、『主が彼らをあなたに渡し、』の部分である。主が渡してくれるのである。そして民が七つの異邦の民を討つ時、哀れみをかけずに聖絶しなければならない。
21節「彼らの前でおびえてはならない。あなたのうちにおられるあなたの神、主は、大いなる恐るべき神だからである。」22節「あなたの神、主はこれらの異邦の民を徐々にあなたの前から追い払われる。あなたは彼らをすぐに断ち滅ぼすことはできない。野の獣が増えて、あなたを襲うことのないようにするためである。」ここでもイスラエルの民が傷つかないように異邦の民(罪の種)を徐々に追い払われる。一気に追い払うと、人間が少なくなり、野獣が横行して人を襲うから徐々に追い払って下さる。神様の偉大な計画と深い配慮が感じられる。ここでも主が追い払われるのである。いつでも主が主体であり、人々は主に従順であれば、その祝福が大いに与えられるのである。ここでの祝福には条件がある。「あなたがこれを討つとき」と続く。主が主体であり、渡すから必ず聖絶せよ、との命令。しかも必ずである。神の命令があり、行動するのは人間である私たちである。神の命令に従うかどうかは私たち人間に選択の自由が与えられている。弱い私はいつもここで選択肢を間違える。
Iコリント5:6「あなたが誇っているのは、よくないことです。わずかなパン種が、こねた粉全体を膨らませることを、あなたがたは知らないのですか。」とあるように、少しでも混じっていると罪につながることが書かれている。
そして一番の命令:
申命記6章4節-5節「聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である。
あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、
主を愛しなさい。」
祈り:天の父なる神様、御名を賛美します。私も米国に来て約40年近いです。そろそろ荒野から出たいです。9年前あなたにより贖い出された者でありながら、未だ荒野を放浪しているように感じられます。ふるいにかけられば、すぐに吹き飛ばされるもみ殻のようです。どうかこの弱い者の目を開き、耳をあなたに傾けさせてください。度々サタンの巧妙な手段に陥ってしまいます。わずかなパン種が大きく粉全体をふくらませるように、それが罪であるのなら、一切関わりたくありません。どうかその可能性をも退り除く知恵を与えて下さい。すでに与えられているなら、それに気づき正しい判断ができるよう心を強めて下さい。あなたに従順であれるよう、どうかお導き下さい。私たちを贖ってくださり感謝します。尊いイエス様の御名により祈ります。アーメン
文:マッカーター政子
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