モーセはこの章を通して、前の章から引き続き、主がイスラエルの民に教えよと命じられた命令(おきてと定め)を語っています。イスラエルが約束の地、「乳と蜜の流れる国」を所有してから、そこで彼らだけでなく、その後の世代の者たちのそれぞれの一生の間、主を畏れ、長く生きていくことができるため、そしてその地で幸せに生き、大いにふえるようになるためです。
「聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである。心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」(6:4,5)
この言葉こそ、モーセを通して神がイスラエルの民に与えられたすべての戒めの基本です。これは自分の全存在をあげて主を愛するという動機を持つことに集約されます。これこそ新約時代の私たちの信仰の中心でもあるとも思われます。イエス様も、ある律法の専門家が「律法の中で、大切な戒めはどれですか」と尋ねた時、この箇所を示されました。(マタイ22:37)
またイエス様はヨハネの福音書の中で言われました。イエス様の戒めを保ち、それを守る人はイエス様を愛する人で、その人は神にも愛されていると。(ヨハネ14:21)私たちが戒めを守るのはイエス様を愛しているからです。いやいやながら守るのではないということです。
7節では、モーセは人々がそれを守るために、「あなたがたの心に刻みなさい。」そして子供達にもこのことを教え込むため、いつも「これを唱えなさい」と教えます。
いつもこれを「唱(とな)えなさい。」というと、お坊さんがお題目を唱えている時の声と姿を思い浮かべます。これは個人的な解釈かも知れませんが、「唱える」のではなく、合唱とか独唱の中にある「唱」(うたう)と解釈した方が本来の意味に近いのではないかと思われます。詩篇第一篇2節を思い起こさせられます。そして、岩渕まこと氏のワーシップソングのメロデイーとともに、「主の教えを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむ。」と、いつも絶えることなく喜びと感謝の気持ちを持って歌いたくなります。
私たちが主を愛するなら、主のおきてと定めを喜びとして受け取れると思います。そうすれば、それは単なる命令、戒めではなくなります。だからこそ私たちのただひとりの神を、心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして愛していきましょう。
続けて、モーセは忠告します。主が、約束されたカナンの地にイスラエルの民を導き入れられる時、今まで経験できなかった満ち足りた豊かな生活を生きるようになる。その時、あなたがたは主を忘れてしまうかもしれない。だから、「あなたは気をつけて、あなたをエジプトの地、奴隷の家から連れ出された主を忘れないようにしなさい。」と告げます。私たちも注意しなくてはならない教えです。その為にも、私たちも律法の中で一番大切なこの戒めをいつも口ずさんでいましょう。
愛する天のお父様、今日のみ言葉を感謝します。私たちもただお一人の神であるあなたを、心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして愛します。いつも感謝しつつ喜びをもって唱(うたい)ます。イエス様の御名によって祈ります。アーメン。
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