いよいよ黙示録最終章、聖書の最後の章だ。前章に引き続き、新天地の描写が続く。
私たち信者がたどり着くのは、夫のために飾られた花嫁のように整えられた地だというのだ。何とも穏やかで、美しい地に違いないと想像する。そこは、神様とイエス様の御座から流れるいのちの水の川が流れる地。いのちの木が植えられ、全てが癒され、のろわれるものは何もない。神様の御顔を見るものは死ぬと言われてきた時代は終わり、御顔を直に仰ぎ見て神様と共に生きるのだ。もはや死もなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。
私たちを待つのはこのような祝福。神様はこのような祝福を与えて下さるため、イエス様に私たちの罪を全部負わせて、贖ってくださった。それは私がまだ神様に背を向けている時に与えて下さった、無償の祝福。神様が一方的に愛して下さったのだ。その愛をただ信じて受け取るだけで、私たちは神様の子としてこの新しい地に生きるものとされる。
黙示録は迫害を受けている信者への励ましの手紙ということだが、私にはなんかこわいと感じてしまう記述が多い。でも、幾度となく信仰の危機を通りながらも、支えられ、守られてきたことを感じている。自分の力じゃない、まさに神様の恵みによる今であることを思う。
これからも何かしら起こると思うが、きっと神様に守られ、力付けられながら、最後は神様の身元に行くことを信じている。
主は「すぐに来る」と仰って下さる。この22章は、すぐに来ると3回も仰られるので、とても性急な印象を持つ。すぐ行くんだから、気を緩めることなく待っていなさいと言われているような気がする。人生、あっという間。召される時に、後悔のないようにしたい。
天のお父様、今日のみことばを感謝します。黙示録はなかなか理解が難しいですが、あなたが必要なことを必要な時に語ってくださいますから信じて感謝します。人生どんなことがあっても、神様の愛を疑って神様の元を離れることなどないよう、どうぞ助け続けてください。そして家族や友達にも今一度、この恵みを伝えたいと思わされました。特に信仰から離れてしまっている父にあなたの愛が届きますように。父の心を開いてください。イエス様の御名によってお祈りします。アーメン
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