「御使いは私に、『子羊の婚宴に招かれている者たちは幸いだ、と書き記しなさい。』と言い、また『これらは神の真実なことばである』と言った。」(9)
19章は、キリストの再臨(11~16)について記されている。また、1節から8節には、再臨のキリストをお迎えするための天の賛美が捧げられている。
9節には「子羊の婚宴」と記されているが、キリストの再臨は、私たち信者にとっては、キリストとの婚宴に等しきものとなる。
私たちは、花婿であるキリストをお迎えする花嫁である。男性である私にとっては、自分を花嫁としてイメージするのは難しい。それは結婚式の花嫁姿が頭に浮かぶからだ。あの純白のウェディングドレスに身を包んだ花嫁の姿を自分に重ねるからだと思う。
しかし、キリストの花嫁とは、そのようなドレス姿のことではないだろう。それは当時の結婚式の習慣が背景にある。花婿が花嫁を迎えに出向いて来る、その時は現代のように何日の何時と決まっているわけではない。花嫁は数か月も待つことがあるらしい。その間、花嫁は自らを清く保ち、いつ花婿が迎えに来てもいいように備えているのだ。
私たちにとって、キリストの再臨とは、花婿が花嫁を迎えに出向いて来ることであって、それは大きな喜びと時となる。
私たちは、目を覚まして主の再臨を待ち望みたい。そしていつ迎えが来てもいいように、自らを清く保ち、白い衣を着て、主をお迎えしたい。
主よ、来てください。
天の父なる神さま
イエスさまが再臨されるとき、私たちは「子羊の婚宴」に招かれていることを感謝します。キリストの花嫁としてふさわしく、自ら清く保ち、目を覚まし、主を待ち望む者でありますように、聖霊が私たちを励ましてください。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
文:関真士
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