『大淫婦バビロン』
聖書ではバビロンは常に大都市、経済の発展した都、この世の繁栄、権力と贅沢な富の象徴でありながらも道徳は荒れ果てた惑わしの都として表されている。
ダニエル書のダニエルがバビロン捕囚で紀元前605年に新バビロニア王国の首都バビロンに連行され一生をバビロンで過ごす。この大都市バビロンは約20万人(名古屋ぐらい)の人口で、四方が城壁に囲まれている。その城壁の高さがなんと60メートル、幅が馬車2台行き交う程の厚さで、長さが22キロ、一周すると96キロの長さがあったと歴史家のヘロドトスが記している。城壁の中にはユーフラテス川が流れ、橋が架けられていて、その橋の長さが900メートル、それだけではなく、川の下を地下道があって行き来していたという。世界の七不思議である、空中庭園、これはアーチ型で上には大木が植えられ、水が流れ酒宴ホールまであったという、しかも高さが180メートルもあった。日本はこの頃未だ縄文時代であるのに大変な繁栄と文化を誇ったのがバビロンであった。
ダニエル達は、初めてこの大都市を訪れた時には、信じられない文明にショックを隠せなかった事だと想像するのですが、彼らはユダヤの神、唯一の神をこの異教の地、様々な神、ベルという太陽神の中で礼拝を続けるのです。
バビロンは特に天文学や科学が発達していましたから、全ての占領した民族を自分たちの文化を見せて洗脳して、武力だけでなく、頭の中まで征服するという国家、文明の象徴です。
4節それから私は、天からもう一つの声がこう言うのを聞いた。「わたしの民は、この女(大バビロン)の罪に関わらないように、その災害に巻き込まれないように、彼女のところから出て行きなさい。」
主イエスの民である私達、信者にもこの世の最高の繁栄があるが反対に道徳が乱れきっている、贅沢の限りに見えるが心の中はすさんでいるバビロンから出るように勧告されているのです。
20節「天よ、この都のことで喜べ。聖徒たちも使徒たちも預言者たちも喜べ。神があなたがたのために、この都をさばかれたのだから。」
自己中心の世界、自分にとって利益あることか、無いことか。楽しい事か、辛い事かということが中心となる世界には、神を軸とする民は住むことが出来ないのです。
祈り
私達の心の中にもバビロン的な考え方が周りの影響によって浸透してしまう毎日ですが、どうか主イエスを中心とする生き方に変えられて行く力があたえられますように、バビロンから出て行く手助けを聖霊の導きによって出来るようにさせて下さい。アーメン
文:森 宗孝
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