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2023年11月7日 民数記第19章

『きよめの水』

 

『きよめの水』

 

 今話題のイスラエルですが、現代のイスラエル建国の一年前の1947年の出来事です。その時,国連ではどこにユダヤ人を移住させるかと移住先の候補はいくつかあったとの事ですが、それを決定する前に、死海の近くで死海写本が発掘されていました。 特に第4洞窟からほとんど完全に保存されたイザヤ書が見つかったのです。私たちの知るイザヤ書と全く同じ内容だっただけに、聖書の内容の正確性が証明されただけでなく、イスラエル民族のルーツがはっきりと2千年前のイザヤ書でも示されて、今のイスラエルの国の場所がユダヤ人の移住先とされる国連の決定の助けとなったという神のタイミングでのイザヤ書の発掘でした。

 

 この発掘場所のクムランでの死海写本は、その当時エッセネ派と呼ばれるグループ、現代のイメージで言えば修道院を思い起こすグループだったわけですが、彼らは「洗礼派」と呼ばれていました。我々の今使う洗礼とは異なって、水で清められる事が毎日の日課でありました。このグループはわずか2~3百人ほどのグループであったようです。彼らの住居の跡には、数々の清めの水瓶、小さなお風呂のようなものから、大きなプールのような水槽が見つかっています。

 

 20節「汚れた者が身の汚れを除かなければ、その人は集会の中から断ち切られる。主の聖所を汚したからである。汚れを除く水がその人に振りかけられなかったので、その人は汚れている。」


 主イエスの最初の奇跡、カナの婚礼では石の水がめ六つ、これは清めのための水がめを葡萄酒に変えられたのですが、一つが120リットル、31ガロン、重さにして120キロもあった大きな水がめ、それが6つあったのです。ユダヤ人のきよめのしきたりに従って置いてあった、と記されています。身を清めてから婚礼の式に出席した事でしょう。エッセネ派は、ユダヤ人の中でも特に、水による清めを重視していた一派でした。


 そのようなユダヤ人の水による清めの考えに対して、主イエスは最後の晩餐の時に、本来は奴隷の仕事である足を洗うために、たらいに水を入れて、弟子たちの足を洗い、腰にまとっていた手ぬぐいでふき始めたとあります。彼らの師である主が模範を見せたのです。清めは形だけのものではなく、その心を示されました。


祈り

 主よ、私たちの汚れは心の中の闇から出てきてしまいます。祈って、賛美しているその舌から、人を避難し、神を冒涜する言葉も出てきてしまうのです。水による清めでは、心の墨はきれいになることはできません。どうか主イエスを信じる信仰によって、心が清められますように、主イエスが自ら弟子の足を洗われました、私もその模範に見習うことができますように

アーメン


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