この章は、「コラとその仲間の反乱」としても知られ、イスラエルの民の中で起こった反乱の出来事について書かれています。
コラ、ダタン、アビラム、オンが中心となり、モーセとアロンの祭司の地位や権威に対する不満を抱き、自分たちも同じような権限を持つべきだと主張し、モーセとアロンに対して批判を会衆に広め反乱を扇動しました。
しかし、神さまからは「彼らには主の幕屋の奉仕をするように、会衆の前に立って彼らに仕えるように」9節(抜粋)と使命が与えられていたにもかかわらず、さらに祭司の職まで要求したのです。
その結果、神さまは厳しい罰を下し、地が裂けて彼らを呑み込む出来事が起きたのです。
神さまの罰はこの後も、二百五十人を焼き尽くし、コラの事件で死んだ者とは別に、一万四千七百人とあります。
この出来事で神さまが怖くて逃げてしまいたくなる罪人である私ですが、ここでは自己中心的な意見や野心を優先するのではなく、神さまから与えられ置かれている場所で神さまの道に従うことの大切さを学びます。
もう一つこの章で大切なことは、モーセとアロンのとりなしの祈りです。
「二人はひれ伏して言った。「神よ、すべての肉なるものの霊をつかさどる神よ。一人の人が罪ある者となれば、全会衆に御怒りをくだされるのですか。」」(22節)
「彼は香をたいて、民のために宥めを行った。」(47節抜粋)
イスラエルの民に祭司の役割に異議を唱え、自分たちも祭司であるべきと主張され反乱まで起こされたのに、モーセとアロンは神さまにとりなしを求め、神さまの助けとイスラエルの民の赦しを請う祈りを捧げたのです。
普通なら、怒りや報復の感情でいっぱいになり赦しを請う祈りにならないと思うのです。
しかし、モーセとアロンは、神さまとイスラエルの民の間に立ち、民のために祈り、神の赦しと平和を祈ったのです。
出来事に直面してしまったら、しばしば疑念や怒りがわき上がりますが、モーセとアロンのような謙虚な心と信仰をもって、神さまの赦しと平和をとりなす祈りができる者でありたいです。
愛する天のお父さま、今、世界中で平和の必要性を感じます。特にイスラエルとハマス、ウクライナとロシア間での戦争が心に重くのしかかります。この紛争に巻き込まれている人々に対して、平和への道を示してください。戦争ではなく対話と解決策を、知恵をお与えください。イエスキリストのお名前を通してお祈りします。アーメン
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