『40年の荒野とアロンの死』
モーセの兄のアロンは、約束のカナンの地に入る一歩手前で、エジプトの地を出てから40年目の第5の月にホル山で123歳にして亡くなる。エジプトを出た古い世代の終わりであり、新しい世代への節目となっている。やがて兄を追うようにモーセも亡くなってゆくわけですが、モーセでさえも約束の地に入ることはできませんでした。この33章には出エジプトからの40年間の荒野での道筋が記されているのです。
モーセの人生を思い起こすと、年少からの40年はエジプトの国王のもとで、世界最高の教育を受け、しっかりとした学問、帝王学を身につけた時代でした。しかし、次の40年間は殺人を犯してエジプトを逃れ、荒野にて羊飼いとして瞑想する時代となりますが、この荒野での生活でどのようにして荒野で、、生き残るかを学んだモーセは、やがて奴隷となっていたユダヤ民族をエジプトから救い出し、厳しい荒野での40年のい生活に備えるための、そして民族のリーダーとして荒野で生活するという準備期間があった、これは神の摂理であった事を理解できます。
主イエスも40日間の断食の後に、荒野での誘惑を経験します。イスラエルの民が荒野で様々な誘惑に遭って、挫けて偶像礼拝に陥ったり失敗を繰り返しました。しかし主イエスは悪魔の誘惑を断ち切って、イスラエルの民の間違いを踏み直して正しました。
不思議なことに、ダビデ王もイスラエル全体の王として統治した期限は40年で、その後のソロモン王も40年間君臨しています。四十という時間に、神の特別な摂理が働いているのかもしれません。
33章には主からの厳しい指示が下されます。55節「もしその地の住民をあなたがたの前から追い払わなければ、あなたがたが残しておく者たちは、あなたがたの目のとげとなり、脇腹の茨となり、彼らはあなたがたが住むその土地であなたがたを苦しめる。」 偶像を打ち壊し、住民をことごとく追い払えと言うのです。
主よ、あなたは隣人を愛せと言われたではないですか。 同じ神のみことばなのでしょうかと疑いたくなる箇所でもあります。しかし「唯一の神を愛するということは、他の神々を追い払い、打ち砕き、根絶やしにする事でもあるのです。たとえそれが、金銭であったり、権力という偶像であっても、打ち砕く必要があるのです。神の愛には常に義が伴う、厳しい愛の姿が見えます。
祈り
私たちも人生の荒野を旅する経験をいたします、しかし主イエスの十字架によって、相手を追い払い、粉砕する霊から、打ち砕かれても、蔑まされても、それを赦すことができる霊を頂けるように導かれた事に感謝いたします。 主よどうかいつも私の手を握って離さないでいて下さる事を自分が忘れないよう、歩めますように。アーメン
文:森宗孝
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