18節「主は怒るのに遅く、恵み豊かであり、咎と背きを赦す。しかし、罰すべき者を必ず罰し、父の咎を子に報い、三代、四代に及ぼす」
イスラエルの民に対して、これ以上に怒りを遅くまで忍耐をもって持つことができる神がどこにいるのでしょうか。
カナンの地に偵察に遣わされた民のなかで神に従順だったのはヌンの子ヨシュアとエフネンの子カレブであった。他の偵察隊は、カナンの地のことをかなり否定的に民に告げたので、又もや民の心が神からはなれてしまったのである。挙句の果てに、イスラエルの民はエジプトに帰ろうとまで言ったのである。なんと情けない民の、神を侮る態度でしょうか。自分の思いを優先すると、神がなさってきたすべてのことが見えなくなってしまうのである。
不信仰な偵察隊に比べて、ヌンの子ヨシュアとエフネンの子カレブは自分たちの衣を引き裂きイスラエルの民に勇敢に、自分たちが巡り歩いて偵察した地は、すばらしく、良い地だったと言った。そして、8節で、「もし主が私たちを喜んでおられるなら、私たちをあの地に導き入れ、それを私たちに下さる。あの地は乳と蜜が流れる地だ。」と言った。
又、9節でも大切なことを言っている。「ただ、主に背いてはならない。その地の人々を恐れてはならない。彼らは私たちの餌食となる。彼らの守りは、すでに彼らから取り去られている。主が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない。」本当に声を張り上げてアーメンと叫びたくなる箇所です。
私たちが恐れるのは人ではなく、神に背くこと。神を侮ること。神に従わずに自分の思いを先に優先していくことである。私たちは、このような間違いに常に出くわすことがあるけれど、イエス・キリストの十字架の血潮によって悔い改めの祈る特権が与えられて赦されるのである。アーメン。
しかし、神の忍耐も、神を十度も試み、神の声に聞き従わなかった者たちは罰せられて約束の地を見ることはないと述べておられる。
愛する天の父なる神さま。
私たちもこの地上は荒野のなかです。約束の地にいくまでどうぞあなたに忠実に従っていくことができますようにお祈りします。まだイエスさまを受け入れていない人々に伝道して、彼らが救われて共に約束の地へと行くことができますように導いてください。感謝して、委ねて、主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン
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