top of page

2023年11月10日 民数記第22章

hccnichigo

 22章から24章には、バラムのことが記されている。彼は、モアブの王に招かれてイスラエルを呪うように求められるが、主の御声に聞き従って、逆にイスラエルを3回祝福したことが記されている。

 22章では、一つ不可解なことがある。モアブの王に招かれたとき、主はバラムに「立って彼らと一緒に行け」(20)と言われた。その通りにバラムはロバに乗ってモアブの王の所に向かうのだが、その途中で主の怒りが燃え上がり、主の使いが道に立ちはだかったのだ。その時、ロバが口をきくという面白い描写があるのだが、不可解なことは、主が「行け」と言われて、その御声に聞き従ったのに、なぜ主の怒りが燃え上がるのか? ということだ。


 ここで聖書解釈の大原則である「聖書は聖書で解釈する」ということで、この不可解な出来事を理解することが出来る。

 Ⅱペテロ2章15節「彼らは、正しい道を捨てて、さまよっています。ベオルの子バラムの道に従ったのです。バラムは不義の報酬を愛しましたが、自分の不法の行いをとがめられました。口のきけないロバが人間の声で話して、この預言者の正気を失ったふるまいをやめさせたのです。」

 つまり、民数記には記されていないが、バラムは、モアブの王からの報酬を目当てに出かけたということだ。モアブの王はイスラエルを呪うように求めているのだから、その王からの報酬を目当てにするということが“不義”とされるのは当然だ。


 主は、私たちの動機を問われる。主の導きに従っていたとしても、その心の動機は、どうなのか? 主に従っているのに道が塞がれ、なぜ? と思うとき、一度心静めて、自らの心の動機を探ってみることも必要だろう。

 もしかすると、主の使いが道を塞いでいるのかもしれない。その心のままでは先に進んではならないと、そこで気づきと悔い改めのチャンスをくださるのだ。


 私自身も何度か経験がある。悔い改めることで、先の道が開かれたということが。もし、あの時、自らを振り返ることをしないで、そのまま強行突破していたら、その後どうなっていたかと想像すると怖ろしい。しかし、悔い改めることで進んだ道には、大きな祝福が待っていた。


 天の父なる神さま

 あなたは、私たちの心の動機を探られます。もし、動機に”不義”がある時には、それを示し、道をストップしてくださることを感謝します。そして悔い改めの機会を与え、義の道へと導いてくださることを感謝します。

 すべてがあなたの恵みです。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン


閲覧数:24回0件のコメント

最新記事

すべて表示

2023年12月31日 申命記15章

「与えるとき物惜しみをしてはならない。このことのゆえに、あなたの神、主は、あなたのすべての働きと手のわざを祝福してくださるからである。」15:10(一部抜粋) 15章は、七年の終わりごとに負債の免除をしなければならないことについての規定が述べられている。その時に、物惜しみを...

2023年12月30日 申命記14章

この章では、食べ物の規定が書かれており興味深いと思った。申命記はイエス様が、人としてこの世に来て下さる前のことだと、心に留めておかなければならないと思う。 聖書に書かれている食べ物分類は神様からの当時の命令で、これを命じる理由が、自分の愛する子どもたち、イスラエルの民を守る...

2023年12月29日 申命記13章

預言者や夢見る者が現れ、「さあ、あなたが知らなかったほかの神々に従い、これに仕えよう」と言って私たちを誘惑しようとしますが、あなた方の神、主は、あなたがたが心を尽くし、いのちを尽くして、本当にあなたがたの神、主を愛しているかどうかをしろうとして、あなたがたを試みておられます...

Comments


bottom of page