「聖なることは家庭から」
この19章も主なる神がモーセに告げられたみことばです。あなたがたは聖なる者でなければならない。なぜならば、あなたがたイスラエルの民の神、主であるわたしが聖だからである。と聖なる必然性をここに明記されています。聖なる神と交わるには、聖でなければならないのです。闇の部分、罪に覆われていては、聖なる神の前に出ますと撃たれてしまわざるを得ないのです。
3節「それぞれ、自分の母と父を恐れなければならない。また、わたしの安息日を守らなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。」まず最初に聖なるためには、母と父を恐れなければならない、(新共同訳では”敬いなさい”とあるので、新改訳の恐れるという語源は、むしろ畏れる、畏怖の念にかられるという畏れに近い意味ではないかと思います)英語訳もFearともrespectとも訳されている箇所です。
十戒の五番目に「あなたの父と母を敬え」とありますが、ここでは父と母が逆の順番で、母と父を恐れ、畏れなさい」とあるのです。 微妙な違いですが、何か引っ掛かるところがあるのです。18章も家庭が聖なることが書かれておりましたが、私たちを育ててくれるのは両親ですが、母乳を与え、寝かしつけて、甘える相手は、まずは母親であります。子供が成長して物心ついた時に、その一番身近な母親の権威、育て上げてくれた感謝の念を持って敬い、畏れる事、自分の目にみえる親たちを畏れ、敬う事ができない人にとって、目には見えない神を敬い、畏れる事はできないので、まず始めに聖なる事は家庭から、一番身近な人に向かって恐れなさいと、主なる神がモーセに伝えているのではないでしょうか。
モーセの母親は、自分の命を顧みずに赤ん坊のモーセを庇い、自分で出来る限り、3ヶ月間の間、赤ちゃんモーセを隠し育てました。ナイル川に流されたモーセを、神の御手は守って、ファラオの娘が見つけ、それを見守っていた姉ミリアムは、モーセの母親を乳母として雇ってもらう手配までしてくれました。 あなたの母を敬い、畏れなさい、それから始まって神を畏れる、聖なるものと育って行くのです。
それから神の定められた安息日を守り、神を7日間の生活の中で、聖なる日として神に感謝し、拝む事が聖なることにつながって行くとも書かれています。 さらに最もこの19章で注目すべき聖句は、主イエスが律法をまとめて下さった聖句が、ここに記されているのです
18節「あなたは復讐してはならない。 あなたの民の人々に恨みを抱いてはならない。あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。わたしは主である。」
主イエスも、隣人を自分自身を愛するように愛しなさいと言われたのは、このレビ記からの教えだったのです。 あなたがたイスラエルの民をエジプトの奴隷から救い出したのは、彼らを聖なる民として選ばれて、導き神の栄光を表すためであったのです。私達は週に一度の安息日を守り、主を拝んでおります。 果たして一人一人のご家庭で、母と父を敬うように、畏れるようにという戒めを果たしている家庭でありましょうか。
祈り
主を畏れる事を学ぶために、家庭での母と父を敬い、畏れる教育ができますように、まだまだできていない家庭には、主が助けとなって敬う事、畏れる事を学ばさせてくださいますように祈ります。 アーメン
Comments